太古の神座
瑞(たま)の兆し
地の振りが伝わっているのでしょうか。
沖縄の各地で、独自の神事を行う方々が増えています。
「破壊を抑えるため」「滅亡を止めるため」とか「埋没神を起こすため」「悪を制するため」とか・・・
人の数だけその理由も様々です。
しかし、神世界と仏界が混雑している沖縄の神世界観では、これらをしっかり捉え、きちんと読み取る力が必要になります。
大地を揺るがす地の神への神事は、ある集団により行われてきたと伝わります。彼らは巨石を磐座として信仰し、また、大洞穴を神が鎭まるところと捉え、また湧水の源を湧水神、「ヒ」の神宿る霊石を崇めます。
沖縄でも、これを陰陽の神座群として祀っていましたが、現在一部を除きそのほとんどが忘れ去られています。
重要な神事を行うとなれば
無駄な情報もろとも
身、削ぎに削ぎ(禊)
心身ともに、祓いに祓い(祓い)
魂、鎮めに鎮め(鎮魂)
清浄無垢な御魂となり・・・
更に、神世界には「色の世界」をもっては入れません。
重要な神事、祭祀を行う時には
「神体と神技と神言と神音」「神人合一」です。「人神合一」では本末転倒です。
隠された聖地があるとするなら、その真髄を知りうるお方がお役目として、入るべき時に入り、行うべき時に神事を行うことになっていて、更にその秘儀は唯一その役目の方のみに語り継がれ守られているはずです。
宮古島の神事には、徹底的に隠してきた秘儀や神名があります。それは家族にも明かしてはならない掟なのです。
太古より伝わる伝統的な神事や秘儀、秘技など、重要なものは絶対表に出てこない。その理由はちょっと考えればお分かりになると思います。
私たちにできることといえば、
己の禊祓いと御魂の鎮魂、これらがご先祖様への最高の供養となります。
それと太古の昔、沖縄で崇められてきた神々を思い出し、これ以上「思念想念を生みださないこと」ではないでしょうか。
思念想念を生み出さないこと!!です。
これが今の世をつくってきたのです。単純な神世界を複雑にしたのは、思念想念で次から次にあらゆる「我」を生みだした人間です。
神の世界とは、その根は宇宙にあり、崇高でありながら、その営みは循環と融合・調和の世界で至って簡素。
「ムダ!無駄!無だ!」を生みだしたのは人間です。
現在3000ヶ所ともいわれる沖縄の御嶽は、集落の成立とともに起こったもの、しかし、そのほとんどは戦後個人がたてた御嶽です。おかげで見えない世界は大渋滞です。
本来の大切な聖地は忘れ去られています。
太古の昔、人々が自然とともにあった頃、神々を崇め尊び守り、そして受容してきました。そこには悦びと反省と感謝しかありませんでした。
byはやさすら
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