アイはやさすら ほどきむすび

琉球弧の神々と歴史を取り戻そう。 お爺、お婆が守ってきた宝の島✨琉球‼ 私たちに今何ができるのか。 まずは知ることから始めよう‼

< 2018年10>
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てぃーだイチオシ

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驗(しるし)の靈(たま)
天(あま)照(てらす)大御神は
「天満系統(あまみつけいとう)(あまん)」で「天の神、海の神、地の神」があります。
海人族(あまぞく)にとって夜の闇に照る月や星の「優しい光」は最高の癒しでもありました。

「アマテル」とは、海を照らす「月」のことでもあります。
天から降り注ぐ、「光の神(月)」は海の水面をキラキラと照らします。
その光のことを「アマテル=海を照らす=アマテラス」というのです。
その「月の光」に海の幸が集まり、海人は、満ち足りた海の恵みに感謝しました。

海人族(あまぞく)の間には、「神舞」と称する「舞」があり、古代から密かに継承されてきたものがあります。

「舞=踊り=芸能」の始祖といわれるのは「アマノウズメノミコト」です。
古代の天岩戸の神事において、神憑りしたアマノウズメノミコトは、足を踏み鳴らし命の鼓動を「地の神」へ捧げたといいます。

天の神には「舞」を、地の神には「音」を捧げたのです。

それは、海に面した洞窟の中でかがり火を灯し、静かに厳かに執り行われていたそうです。
「神舞」はお祭りのように賑やかなるものではなく、風や波の音で厳かに舞ったのだといわれます。

海人族にとって「星」は夜の航海の「道標の神」です。
星は古語で「つつ」といいます。
海人族はあらゆる星を読み取り航海の指標とし、「北斗七星」においては1日に1回転することで「時間」を測っていたそうです。

海の神
ソコツツノオノカミ(底筒之男神)
ナカツツノオノカミ(中筒之男神)
ウワツツノオノカミ(上筒之男神)
(綿=わた=海のこと・筒=つつ=星のこと)

この三神は「住吉三神」といいます。また「住吉大神」ともいわれ、 海人族の「安曇族」が「綿津見の神=祖神」として祭っているのです。安曇の始祖は「綿積豊玉彦」といいます。
更に「筒之男(つつのお)」は「雷神」でもある「海神」です。
また「筒之男」は「経津主(ふつぬし)=剣の神」でもあります。

「剣」が繋がるのは穏やかではありませんが、安曇族は「剣」を携えた部族と合流したと思われます。

彼らは、沖縄で「マキヨ」の名前で呼ばれます。彼らは「アマミキヨの子孫である」といいます。

「安曇=アズミ=アスミ=海に棲む」



byはやさすら

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驗(げーん)

森、林の中は楽しかった。何度も遊ぶうち、一人遊び入る事も出来るようになった。

定期的にある おじぃおばぁからの「ほーーーい!ほいほーい!」という呼び掛けに答えるのはもちろん、10時ちゃー(10時のお茶/朝の中休み)・昼ごはん・3時ちゃー、時分に戻ってくる等などの決まりごとがあった。

そうは言ってもやはり子ども。。遊びに夢中でおじぃ・おばぁの呼び掛けに返事をしない事もしばしば。

そんな時、私を探しにきたおばぁから大目玉をくらうのはもちろんだが、おばぁは決まって回りの木々や岩、土に軽く触れる動作をしながら

「ちゃー みぃまもてぃくみそーち、にふぇーどー。うんくわぁや なーだわらびるえーとぅよ、時間ないねぇ やーかいどぅりち ちびたたち けーちくみそーりよぉ」(いつも見守って頂き、ありがとうございます。この子はまだ子どもです、帰る時間になったら 家に帰れと 急かして帰して下さいね)

と、ブツブツ言っていた。 


木々や草花の囁きや匂い、手招きに誘われ一人奥へ奥へ入る事も多かった。楽しい山との遊び。時間を忘れ自分さえもなくしてしまう異空間であった。

しかし楽しい時ばかりではない。

通いなれた遊び場の数々だが、近づくにつれ「来たらダメだよ、入ったらダメだよ」と私の体の中で響く声。徐々に体にもストップがかかるので、来た道を戻らざる得ない事もあった。

時には、遊んでる私の背中にフワッと何かが触れた?と思ったら、急に「わぁー嫌だ嫌だ」とプチパニックになる私。まとわりついたクモの巣を除けるが如く、手足をばたつかせ必死に手払いしながら、一目散におばぁ達のいる所へ走って戻る事もあった。

見え方が変われど来た道と帰る道は同じなはず。しかし、そのいつもの道を恐々振り返った時、いつもとは違う異様さがあった。風が空気が違う、匂いが違う。明らかに草木の様子も変。

「怖い怖い」と戻ってきた私におばぁは事情も聞かず

「やなむん やなかじ はんちくみそーりよー。うぬくわぁや かんけーねーびらんどぅ」(悪いものは外して下さい。この子どもは関係ないですよ)

と手払いのしぐさをしながらお決まりのブツブツまじない言葉。

「いーちふけー 。すっちゃい いじゃちゃい!」(深呼吸して。深呼吸!)

そしてまじないを繰返しながら私の背中、胸などを払い叩くのだ。


時には湿疹が出始め掻ゆがる私に、偶然居合わせた近所のおじぃが、

「カジョウーラー やさやぁ。だぁだぁだー ぷぅまかさー」(悪いのにあたったね。 おいでー 煙で飛ばそう)

と、言って「プッ!プッ!」っと勢いよくのタバコの煙を私の体に吹きかける事もあった。


お年寄りのまじないは凄いんですよ。ホント効果てきめん!でした。さっきまであったゾワゾワ感や怖さが、不思議な位すーっと消えるんだから。

一連のまじないが終わるとおばぁ達は、お決まりのお茶と黒砂糖を私に渡して

「うりぃ かめー。なー うまかいうとぉけー」(これ食べなさい。今日はここに居ておきなさい)

と言い、また仕事に話に戻っていくのである。


これまた日常。いつもの事。
日が少し傾き始めた頃の光景である。



byアイ

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驗(しるし)の靈(たま)
海人族は1年を2年として数えていました。
神社で行われる神事や宮中の神事をみると気づきます。

6月と12月、7月と1月に行われる神事が同じであり「風土記」や「万葉集」などに見える歌垣(かがい)も春秋で行われています。

6月と12月に行われている宮中行事です。
大祓(おおはらえ)
御贖物(みあがもの)
忌火御飯(いむびのおんいい)
御体御卜奏(みまのみうらのそう)
月次祭(つきなみのまつり)
神今食祭(かむいまけのまつり)
大殿祭(おおとのほがい)
解斎御粥(げさいのおんかゆ)
豊受大神宮月次祭
皇大神宮月次祭
節折(よおり)
鎮火祭(ひしずめのまつり)
道饗祭(みちのあえのまつり)
などがあります。

また「1年=2年」は「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」にも記されています。

(倭人の風俗 )
「その俗は、正歳四節を知らない。ただ春耕秋収を記して年紀としているだけ」 (春耕秋収を数えて年数としている)

初期の天皇の寿命が長いのは、
1年を半年としており「1年=2歳」で計算されているからです。


・・・海人族・・・
アマ族・安曇族・隼人族・宗像(宗形)族・海部氏など多種の海人族が古代の海を行き交っていました。
その中でもひときわ目立っていたのは海部です。海部の祖神を祀るのは籠神社です。
籠神社(このじんじゃ)の「海部氏(あまべし)」は、古の系図を持つ有。その系図は国宝に認定されています。始祖は 天火明命で、その子孫を「天孫族」としています。



この系図には
「卑弥呼(ヒミコ)=「 日女命」
「台与(臺與:トヨ)=「小止与」
が残されています!

・九世孫「日女命」
亦名「倭迹迹日百襲姫命 (やまととひももそひめ)」
亦名「神大市姫命=日神」
・十世孫「乎縫(おぬい)命」
亦名「小止与(おとよ)命」
彼女の妹は「大倭姫」亦名「倭迹迹姫命(やまとととひめみこと)」
・十一世孫「小登与命(おとよみこと)」は御間木入彦命(みまきいりひこ)=崇神天皇です。
さらに彼の妹=日女命(ひめみこと)です。



籠神社には2000年間にわたり伝えられてきた「息津鏡(おきつかがみ)」「邊津鏡(へつかがみ)」と呼ばれる秘蔵の鏡があります。
物部の十種神宝(とくさのかんだから)の中にこの名前があります。


海人族の娘豊玉姫(彦火々出見命の妃)は「潮満珠(しおみつたま)」「潮涸珠(しおふるたま)」の「玉」を持っていましたね。

籠神社の奥宮は、「冠島=彦火明(ひこほあかり)命」が「沓島=日子郎女(ひこいらつめ)=市杵嶋比売(いちきしまひめ)命」が祀られています。

そもそも・・・籠神社の祭神は
奥宮に祀られている祭神をみれば分かるとおりです。
「 彦火明命」で「天火明命」ではないですょ。

⚫海部氏=「天火明命」=天神=天孫族
アマベ氏
⚫海部=「彦火明命」=天孫氏
アマ
この「天火明命」は「彦火々出見命」の児(子)として系図に入ってきました。


「海部(あま)」は「忌部」と繋がりがあると前回話しましたが、
「海部(あま)」と「海部(あまべ)」が沖縄の隠された歴史の鍵を握るように思えてならないのです。


日本の 祭祀の始まりは「天岩戸開き」神話からだといわれています。
その「天岩戸開き」の祭祀の中心は天太玉命、天児屋根命でした。
天児屋命が太祝詞言を奏上し、天太玉命が五百津真賢木に鏡、勾玉を飾り付けて自らが持ち、この時行われた祭祀が神道祭祀の始まりなんです。
そしてその場所が、伊平屋島のクマヤではないかといわれています。
昭和43年、伊平屋島で行われた天岩戸の神事は6月30日から7月1日にかけて行われたのです。


また、 天児屋命の子孫、中臣氏の「中」とは「神と人の間」という意味で司祭者のことです。中臣氏の中で「亀ト」を行うのを「ト部氏(ウラベ)」といいます。現在の神宮、宮廷祭祀を担当しているのは、この中臣氏です。
「中」の字は「那珂」ともに書きます。ということは、伊是名島の「名嘉」さんたちも関係あると思われます。

2004年から2007年まで駐日イスラエル大使を務めた 「エリ・コーヘン氏」は徳島に入り「ユダヤ人がこの地に辿り着いたと思われる史跡がある」と話しています。この地はあの「阿波忌部」の根拠地です。
更に、エリ・コーヘン氏は沖縄においても、ユダヤ人上陸地として、ヤハラヅカサにて!教会関係者が参加して儀式を行いました。




籠神社の「天火明命」の海部氏は聖書の民の系統です。「スサノオ(出雲の王)=ニギハヤヒ=物部」です。新撰姓氏録』(しんせんしょうじろく)は、815年(弘仁6年)に、かかれたもので、ニギハヤヒ=神別=天神=天孫族です。


「忌部氏」は皇室と関係があるといいました。それは 忌部氏だけが、代々皇室に「麁服(あらたえ)の布」を納めていたことで知られていますが、「麁服(あらたえ)の布」とは天皇が即位後、初めて行う践祚大嘗祭(せんそだいじょうさい)で神に奉納する、大切な布のことです。太古から忌部氏は天皇の即位の際、麻から麁服の布を織り、皇室に献上してきたのです。
また、賀茂氏は忌部の中でも最高の祭祀支族です。大祭司は賀茂氏であり、忌部の中の忌部といわれています。
神宮の祭祀は中臣氏ですが、それは表の儀式です。陰陽道には裏表があり、裏の祭祀で神宮の心御柱を直接奉蔡されるのは賀茂氏の役目です。

沖縄には白鳥の稲穂に関する伝説が知念村や玉城村に残っていますが、ここ「伊雑宮」の伝承にも、稲穂をくわえた真名鶴の話があります。その鶴は「伊雑宮」を象徴するようです。そして亀は「籠神社」の伝承に登場する倭宿弥命「やまとすくねのみこと)の乗っていた海亀を象徴しています。

伊雑宮は鮫が昇るという川があり、また、竜宮城や玉手箱の伝承が伝わるところでもあります。祭神は 「天照坐皇大御神御魂 (あまてらしますすめおおみかみのみたま)」といいます。

また 、茨城県の千勝神社には、
「何度も起こる水害に困り果てていたところ、大きな白鳥に乗られた大神様が降臨され、治水して下さいました。それで、農作物も豊かに実り、平安を取り戻す事が出来た」
という伝承もあります。
この「大神様」とは私の大好きな「猿田彦大神」のことです。






byはやさすら

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驗(しるし)の靈(たま)
「タアロアは男の骨から女をつくり、イビと名付けた」
ポリネシア伝説です。
ポリネシア人は古代海人の安曇族と同族ではないかといわれています。。。
しかし、「タアロア」って「たろう」?
しかも!「イビ」って。。。?
沖縄の御嶽の「イビ」と同音です!

「威部」とは
読み方:イビ(ibi)
奄美大島から沖縄の聖地の神の名

い びゐ- 【威部▽】
奄美・沖縄地方で、御嶽うたきの内奥にある神域。神の依代よりしろとされる岩石・神木などがあり、神女が神をまつる。また、そこにいる神。

琉球国由来記の伊平屋島の神の名に全て(火神除く)「◯◯御威部」とあります。

「イビ」には神霊が降るという古代人の信仰ですが、それは太古によみがえるものです。
石に対する信仰は、人類の発祥以来数万年以上に及ぶといわれており、世界中に巨石、岩、石は信仰対象としてみられています。沖縄もしかり、その信仰の痕跡はいたるところで確認することができます。

「イビ」とは古代エジプトで「心臓」をあらわし、 人間の最も重要な霊的な部分の1つと考えられていました。

日本における最古で最強の祭司族または技術集団がいました。
彼らは「忌部・斎部(インべ)」といいます。
沖縄の三母音式で読むとこれは、「イビ」となります。(へ➡ヒに変換)

沖縄にはその地名恩納村に「インブ (伊武部 )」があります。

彼らはもっとも古い祭司集団で、天皇家の祭司を司っていた祭司族です。
その昔、思兼命の発案によって「天岩戸の神事」が執り行われましたが、その祭司を司ったのは「天太玉命」で、忌部の遠祖(とおつおや)になります。
しかし、天武王朝時代に同祭司族であった 「中臣氏(藤原氏)」(祖は天児屋根命)との格差がつけられ、天武朝の「八色の姓」の制定によって、中臣氏は「朝臣姓」、忌部氏は一段下の「宿禰姓」となりました。 この事態に、大同2年(807年)忌部宿禰広成は、『古語拾遺』を平城天皇に撰上し訴えましたが、状況は変わらず表舞台から姿を消すことになったのです。


忌部(斎部)氏の祖神は「高御産巣日神(たかみむすひのかみ)」です。
「高御産巣日神」は「造化三神」の神でもあります。
そして「高御産巣日神(高皇産霊尊=高木神)」の娘が「栲幡千千姫(たくはたちぢひめ)」といい、「白い布の織物の女神」です。
彼女は天照大御神の息子である「御子神・天忍穂耳命(あめのおしほほみ)」と結ばれ、二人の間に「天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)」(天上界の立派な太陽の子)が生まれました。また彼は「 木花之佐久夜毘売(コノハナサクヤヒメ)」( 大山祇神の娘)を妃に迎え、「 彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)」(山幸彦)を産みます。 彼は初代の「神武天皇」の祖父です。

実は沖縄本島、宮古島には「高御産巣日神」や「大山祇神」 「木花開耶姫」 が祀られている聖地があります。しかも「木花開耶姫」の名は、沖縄の古典音楽の中にその名が見えます。

「天太玉命」の「玉」は「天上界の立派な霊魂」のことを意味し司祭者でした。
祭司族である「忌部」の「忌」は、慎みをもって神事で穢れを取り去り、身を清めることを意味します。また忌部らは技術集団であり、「海部(あまべ)」とともに開拓を行いました。

阿波国(現、徳島県)の忌部は「天日鷲命(あめのひわしのみこと)」を祖としています。
「天太玉命」の率いる五神(天日鷲命=阿波忌部の祖、手置帆負命=讃岐忌部の祖、彦狭知命=紀伊忌部の祖、櫛明玉命=出雲玉作の祖、天目一箇=筑紫・伊勢忌部の祖)の一柱でもあります。

「阿波忌部」の「天日鷲命」の名から連想するのは、エジプトの「ホルス神」です。ホルスは鷲を模した神ですが、古代エジプトでは「ヘル」といわれました。あの第三の目の神です。
その「鷲神」の「ホルス神」の子は「イヒ」と言います。またエジプトでは、「イヒ」とは魂が肉体の外に出て宙をさまよう状態のことをいうらしいです。
エジプトの「イヒ・イビ」は霊的な意味を含むようですね。


「天日鷲命」を祖に持つ阿波忌部は
徳島県(阿波国)の戦前の県民歌(阿波国の創生)に出てきます。
【陽は匂ふ国 阿波の国
忌部、海部、名にふる代よりうけつぎて
われらにいたる南国の光をあびて
とどろくうずしおと沸く血
見よこの脈管にたぎれり 勢へ
徳島県民 今日ぞ 】

「忌部」「海部」の名が見えます❗

「忌部」は「海部(あまべ)」と共同でヤマト王権成立に大きな影響を与えました。彼らはまた、日本各地に麻・榖を植え、農業・養蚕・織物・製紙・建築・漁業・衣食住の生活文化技術や産業技術・農業土木技術などを伝えた技術集団で、しかも祭祀集団であったことが わかっています。

この「忌部」と「海部」は沖縄と密接な関係があります。
その流れに「神武天皇」の誕生も隠されているのです。


忌部(インベ)
宮古島で、海のことを「イン」といいます。

byはやさすら





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驗(げーん)

小さい頃過ごしたヤンバルでの日々。
うてぃんだ(太陽)・ちち(月)の位置と山に吹く風や草木から時節を感じ暮らしていたおじぃとおばぁ。

隣近所のおじぃ・おばぁ達は皆、私のおじぃ・おばぁだと思っていた。。物心ついた頃だったか呆れ口調で母から

「あんたの本当のおじぃ、おばぁは、
山のおじぃ、おばぁと町に住むおじぃだけだよ」

と雷級の衝撃の事実を告げられた。
それ位、字に住む方々は私に声をかけ
可愛がってくれた。

太陽と共に働くおじぃは仕事の合間に
畑を過ぎた林の奥に連れて行ってくれた。

歩く道々に自生したクワギー(島桑)、
ヤマムム(山もも)、ビワ、バンシルー(グアバ)、
島バナナ、イチュビー(野いちご)があった。

クワガタやカブトムシの群がる木や
捕まえ方も教わった。

時には山奥へと分け入り、岩の隙間から沁み出るせせらぎの源を見せてくれた。

あの頃は岩の隙間や川底からなぜ水が湧き出てくるのか不思議でしようがなかった。

そんな私に寡黙なおじぃは
「山があいとぅるやる。健康えーとぅ、うてぃんぬ うかぎどぉ」(山があるから、山が健康だから、天のお蔭だよ)とボソボソ語ってくれた。

近隣の山や海、川、湧き水にも遊びに行った。
川エビ取り、沢ガニ取り、川のぼり、海釣り。

自然は遊びの宝庫。

その中にあったウガンジュ(拝所)も空間の一部だった。空を覆いつくす大木の根元は私達のやしみどぅくま(休憩所)

五感に染みいる山の空気、せせらぎの音、
木漏れ日、身近で聞こえる鳥や虫の声、
腐葉土の匂い、けもの道を踏みしめる足の感触、青い草木の匂い。

手が届きそうな満天の星、月明かりが頼りの夜道、はたまた真っ暗な闇夜、草木も眠る音のない世界、暗闇の匂い。

心と体、記憶に
刻み込まれた山のエナジー。

私の原点。。
私のエネルギーの源

話好きなおばぁは島にある昔話・言い伝え、
村のしきたりを話してくれた。
そして、おじぃ・おばぁに教え諭された言葉の数々。今でいう黄金言葉だろうか。

遊ぶことに夢中でおじぃ、おばぁの話を耳半分で聞いていた私。この耳半分っていう言葉も祖母から教わった。

「ちかんふぅなーさんぐぅとぅな ゆうちちどぅ とぅすいぬ話や みみぐすいやさ みみがくもんろぅ」(聞かん振りしないで よく聞きなさいよ 年寄りの話は為になるよ 勉強だよ)
と常に言われていた。

薬になる草木の話。
時節の読み方。
生活に根付く旧暦。
隣近所のおじぃおばぁ、人との関わり。

開発が進み今はない祖父母らと暮らした村の風景。
面影までも消されてしまった山。

血となり肉となっている私の中に在るもの。
あの暮らしを話してみようと思う。




byアイ





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驗(しるし)の靈(たま)
何に魂が感じるのか
何に魂がふるえるのか
何に魂がゆさぶられるのか
何に魂がわきあがるのか

真摯(しんし)に自分自身と向き合う
そして、毅然(きぜん)たる態度で〝事〟にあたり、自分らしく乗り越えて行こう。
他人の言葉は助言で、それがすべてではない。
人の言葉に脅かされるな
何も恐れることはない

世の中、所詮「人ありき」
「人ありて、事ありき」

心の整理をし、まずいちばん大切なことを知ること。
「心の整理」とは、「考え」を排除すること。
「あーだからこーだから」「・・・かもしれない」とか「こうしたらあーなるから」とか全部排除!
残るものはただひとつ、「私」の感情です。
「私=1」は「自己中心の思い」でいいんです!
「私は何を求めているの?」
「私」が求めているものの「姿」を明確に思い浮かべて見てください。
それを軸に物事をとらえていこう。

そしてそこから「対象者、対象物=2」に向かいます。

私は、相手の言葉より、対象者の「在り方」をみます。
理不尽さを感じる時には、特に注意を払います。
どんな人物が発している言葉なのか?です。良い人には「注意」されても暖かさを感じるはずです。
相手から「同じ言葉」を聞いたら、それは相手が特に気にしていることだと気づいてください。反面、それが「私自身」の「メッセージ」だったりもします。
よく聞き分けてみてください。
話を聞いたその瞬間、理解できないならそれは構わないことです。まったく問題ありません。でも理解する努力を行ってください。今日理解できないなら、明日と。いつか突然の理解が訪れます。

「人間性は?」とか「人として律した生き方を!」とか言ってる人の姿をみると意外とその人に無いものを語っています。それはまた相手の会話の中にも現れ、会話の前後の「矛盾」が多く、私の耳には「違和感」として残るのです。

人は「無いもの」を「求めている」ものです。
そこで、相手に振り回されてはいけません。

相手から得るものがあれば、得られるものはしっかり得ること、変えられることなら努力して変える。ただそれだけのことです。
「私」を脅かす言動を投げつけてくる人は要注意です!
驚いて嘆いて、傷ついてる場合じゃないですよ。
話しによく耳を傾け、見極めなければなりません。
それを、感じ知り得た時には、「こんなひどいこと言うのはこの人の心の問題」としてさっさと片付けて終わらせましょう。
でも「私自身」耳の痛いことであるなら、それは改めましょう。素直に聞いて改めましょう。
「軌道修正」です!

何に成るべきか
何を得るべきか
何をすべきか


また、相手が「神人」だとするなら、その姿や在り方をしっかりと、両目を開いて見ましょう‼

神に携わる相手ならなおのことです。

更にそれを「神からの言葉」だとして降ろされたものなら、それは相手から発せられた言葉で、
「その人の解釈で発せられたものである」ということに気づいてください。
「神の言葉」の解釈は、その人のもっている知識や経験から成るものだということです。

特に、感情の体験や経験が少ない方には、言葉に重みを感じません。
そこを細かく落とし込んで、お伺いをたてていこうものなら、答えられないのはもちろん、はぐらかすならまだしも、怒りだしたり、怒鳴ったりと悲惨な状態になります。そうなったら、相手が特に見えてきますね。

「私自身」も他人の言葉で、腹もたつし、嫌な気持ちになるものですが「なぜ?」と問いかけてみてください。
相手の嫌な言葉を感情で受け止める前に
「私自身」に「何が嫌なの?」と確認してみてください。これを「自己認識」といいます。
そこに「私」の「変化」のスイッチが隠されているかもしれません。

それ・・・
感情が何かを感じて反応しているということです。

「私」ってみーんな意外と見えてないし、わかってない。
「私」が気づきにくいことは、
「相手」が存在して、行動や言動で「私」の「鏡」になって反射したり、照らしてくれたりします。

今回のはなしは
「逆」もありきです。
「私自身」も相手に見られていますよ。

あらゆる物事や言葉を「陽に当て」
「私造り」楽しんでみてください。

心はたったひとつしかなく
私もたったひとりしかいない



「教えることとは、学ぶことである」



byはやさすら




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驗(しるし)の靈(たま)
喉につかえるものを呑み込んできた「私」は、自分を見失い歩けないでいる。つかえたものが苦しくて、もがけばもがくほど、暗い穴の中に吸い込まれてゆくような感覚に陥る。
喉のつかえはやがて、胸の痛みに変わり、視界が曇り、何もかもが「私」を痛めつけるものでしかないように思えてくる。身体中に鈍痛が走る。ただただ苦しい。奈落の底へ突き落とされた、いや、自分でそこへ飛び込んだのだ。そして、沈んだ身体はもう動けないでいる。
顔の筋肉が「重い(思い)」重力によって下がる。笑顔は無い。血のめぐりも滞り、色も無い。
現実を受け止められずに時間はすぎていく。そして、感情の崩壊、自己崩壊いよいよ「私」の存在が脅かされる。

そして「私」はこう思う。
心無い人に傷つけられた。怒鳴られた。無視された。理不尽な言葉や態度、制圧、暴力を「私」は受けてきた。
あがいてもあがいても何ひとつ変わらない。
思わず「私」は喉の奥の言葉を吐いた。
「どうして!なぜ!わかってもらえないの!」
叫んだ!

そして、こうも叫んだ。
「私」が受けた傷はあなたのせいだ!

それはその瞬間に「私」が出した最高の答え。それはその瞬間の最高の「解決策」。

「気づいて!」
その言葉を噛み砕く。
「私」は誰かのせいにしたいんじゃないんだってことに。

「私」は気を付けていたよね
人を傷つけないように。
「私」は気に掛けていたよね
人を傷つけないように。
「私」はあなたに優しくしていたよね
「私」はあなたとの距離間を大切にしていたよね。
「私」はあなたのやることに口を挟まないようにしていたよね。
「私」はあなたを静かに見守っていたよね。
どうしてこんな痛みを「私」に与えるの!
「私」に
優しくしてもらいたい。
「私」を
大事にしてもらいたい。
「私」を
わかってもらいたい。
「私」を
支えてもらいたい。
「私」は
病んだ身体が心が痛い。
「私」は
答えを求めた
「私」は
助けを求めた
そして、叫んだ、声を出さずに。。。

「私」を救って欲しい。
「私」を応援して欲しい。
「私」を認めて欲しい。
「私」は常に恐怖、不安と戦っている。

「私」の思いが優先の物事の捉え方。
これが生命の基本の世界なのです。生命は皆そうなんです。これを「自己中心」といいます。決して悪い言葉ではありません。
私たちは生まれ出でたその時から、すでに「私」という「1」の「自己中心の世界」なのです。

これが、数字「1」の持つ意味です。
「1」は自己のことです。

そして「私」は感情を「言葉」をもって表現し、その言葉を発した時に、対象者に伝わるという関係性が数字「2」の持つ意味です。
「2」は「私」の対象者のことです。

更に、その「私が発した言葉」に対象者が反応して耳を傾けるとき、次に「対象者から発せられる言葉」に、対象者の感情や考えを「私」はうかがい知ることができます。それは、そのかえってきた言葉で「私」を客観的に知ることになるのです。
その「私」が、数字「3」の持つ意味です。
「3」は対象者に視る「私」のことです。これは「鏡」でもあり、更に「顧みる私」のことです。

「宇宙の法則は全て流動的」
「1」は「2」になり、
「2」は「3」を生む。
これは、ムー大陸時代(と言っておきます)の教えにあります。

「3」の「私」は
もう「1」の「私」ではありません。
「2」という存在との「結び(縁)」によって、「1」の「私」に「変化、変容」が起こり、「3」の「私」が再生されたのです。別の言い方をすれば、「生まれ変わり」です。
「変化」が人間の本質にあり、「変容」は常に起こります。

「変わらないものなど、何ひとつ存在しない」

「1➡➡3」の精神世界を知り、「私」は「私」を知ることから始めましょう。「私自身」と向き合うことで「ひとすじの光」が射しこんできます。


「闇は光を見つけるために準備されたものです」

この世には「ひとつの正しい答え」などありません。人それぞれの正しさがあり、それを根拠に「判断基準」がもたらされているのです。
「2」は「2」の「正しさ」から発せられている場合があります。

「気づいて!」
この世に変わらないものなど何ひとつありません。

「私」との関係性である「2=対象者」も、実は「1=私」であることに気づいてください。
ということは、対象者にとって「私=2」なのですよ!

そして「正しさ」とは「私」の満足感のことです。
人生に「たったひとつの正しい答え」なんてありません。
その答えに「私」が「満足」できるか?ということです。それが「私」の正しい答えなのです。
人それぞれの正しさがあるということは「人が人を裁くことはできない」ということを知りましょう。

きっと「優しい気持ち」が生まれてきますよ。


忘れないで!
全てはお互い様ということを。

「和」の精神
互いの立場の違いを認めるべし。
異質な存在を認めた上で、互いに手を結べる「共通点」を探しだせ。
そして次に「妥協点」を探すのだ。
これを「和」の精神という。
そして、立場や考え方の違うものたちを認め「お互い様」で「時間を共有」するのだ。これを「平和」の精神という。





byはやさすら

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驗(しるし)の靈(たま)
病んだ心と身体を休ませよう。
あくせくした時間は、容赦なく心を奪いにくる。そして「私」を見失う。
自分の身体をいたわるのは、あなた自身です。「不安」「悲しみ」「絶望」は
「痛み」となって心を襲います。
「痛み」は全身にひろがり、いつしか感じなくなる。繰り返されるその「痛み」はやがて「私」を乗っ取りにくる。それは「私」が「私」で無くなること。


早く気づいて!
自分の身体の叫びに、身体中が蝕まれる前に。もっとも大切なのは「私自身」「私の心」です。
「私」の身体が健康でなければ、最高の考えも思いも浮かんできません。


「私」を迎えてくれる場所へ行きましょう。
思い出して下さい。
意味なく、駆け抜けてた子供の頃を。
身体が「時」を制していたあの頃を。
「それ」を夢中に追いかけていた子供の頃を。
「理由や意味はなかった・・・」
欲するままに動いていたあの頃、私は神と共にあった。





「見上げる空が眩しすぎるほど、日常の忙しさを思いしる」

下ばかり見ることが多くなった社会は、人間の再生機能を壊した。
手を広げ、顔を上げ両足でしっかりと大地を踏みしめ「私」を取り戻そう!


聡明な沖縄ブルーの海
力強い樹木の沖縄グリーン
ほのぼのと浮かぶ雲




ときおり山の中を吹きすさむ「神風」は、山を守護する偵察の神。
木々を通して注ぐ優しい太陽の光の神
神威溢れる大岩は天の神の磐座(いわくら)




湧き出る泉の巻き上げるしぶきは、清らかな水の玉の清浄の神。




目を閉じ、耳をすませば、聴こえてくるのは自然の息づかい、伊吹。
そして、感じるのは、心地よい風と、青々とした生命力溢れる色、爽快な香り。




体を包むのは母に抱かれたぬくもりの様な穏やかな時間の流れ。
頭の中も、目も、耳も、口も、皮膚も、身体中を流れる血も、すべてを使って感じよう。


「ここは人間の手で生み出したものは何ひとつないところ」


byはやさすら

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驗(しるし)の靈(たま)
「神武天皇(火火出見尊)は、琉球の惠平也で生誕あそばされたり」

「衝口初」の記録。
藤 貞幹(とう ていかん)(日野家出身) 日野家の本姓である藤原を名乗る・・・日野家藤原鎌足・不比等を先祖に持つ。
「或記いう、御母玉依姫(神武天皇の母)は、海宮(あまみや)玉依彦の女にして、豊玉姫の妹なり。塩土老翁(しおづちのおきな)の計らいにて、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)を海宮に移しかりす内、豊玉姫を娶りて、 鵜葺草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと神武天皇の父)生まれ玉へり。此、海宮と日(いう)は、琉球の恵平也島を云う。 彦火火出見尊の至り玉へる龍宮は琉球なるは疑いあらふからず、琉球の開祖天孫氏に阿麻美久といへるなどを以てみれば、 彦火火出見尊初めて彼嶋にいたり玉。其後、三毛入野命至り玉ひて國をひらき玉けんにや。
島の東北に山あり、これを天孫嶽と云う。土人(現地住民)云う。
「この山上、古神人の降臨の地、故に島の名とす」玉依姫は、この島の豊玉彦の女(娘)して太(泰)伯の裔、この島の渡り、玉依姫を娶りて、神武帝生まれ玉ひ」
(三毛入野尊・・・神武天皇の兄であり、高千穂神社の祭神にもなっています。神武天皇の統制後は彼が九州を拠点とし、沖縄を治めていたようです)

戦後、 第二次世界大戦中のアメリカ合衆国の外交官で ジョージ・ヘンリー・カーという人物によって 、1953年に書かれた
『Okinawa: Kingdom and Province before 1945 』(琉球 王国と1945年以前の沖縄)とまた、1956年には日本語で書かれた『琉球の歴史』を出版しました。
その著者の中に
「琉球国の小さな島から、かの初代人皇神武天皇が、日本国制覇の東方遠征へと乗り出したとして、代々伝えられることをよく記憶に留めいまだに誇りに思っている」と記述されています。

恩納村においても、神武天皇の伝承が口伝継承され、残されています。
その他の地域においても、東村や宮古島などで残されているようです。

神武天皇の系統が「天孫子」と名乗る本家です。沖縄に残されている「天孫氏」というワードはかなり重要なものです。

またシュメール人(ムーの子孫)は黒潮の流れに乗り、沖縄経由で北上しており、アメリカは日本がシュメール人の末裔であると認めています。
ジョージ・H・カーの調べでも、沖縄は重要聖地と見られ、今日に至っているのではないでしょうか。重要な場所は国有地とされ、またほとんどが「米軍の基地」であり、「自衛隊の基地」でもあります。

察度の出目(父方)
真志喜奥間家の「元祖由来記」にある
「元祖之伝説」によると、
太古の祖神は真志喜大神で、中世の祖神は真志喜五郎、次に奥間大親(察度の父)を元祖とする察度王の弟妹一族のことが、記されています。
この「真志喜大神」について、「天孫氏の又孫真志喜大神ナリ、稲、苗、種子の蒔き植え付けを教え、島々村々を巡行し、宜野湾真志喜に住み世を終える」とあります。

次の「真志喜五郎(位牌では真志喜八次郎)」の父は鎮西八郎為朝で、母は真志喜奴留とされ、のち海中の業で島々を巡行し、宜野湾真志喜で世を終えたそうです。
真志喜五郎の子供たちの記録
①田名大主
(母は伊平屋島田名村の奴留)
②島尻大屋子
(母は伊平屋島我喜屋村根屋の娘)
③津堅赤人
(母は津堅島田森の女子)
④久高大主
(母は知念村の奴留)
⑤中城牛太郎
(母は高嶺真栄里村の奴留)

この天孫氏系統の真志喜大神家は代々女系であり、その後、奥間大親が入ります。
この「奥間大親」も実は「天孫氏」の系統で、彼のご先祖様は「天済大神加那志」といいます。
更に、父奥間大親の出身地である、国頭村奥間に行った、察度とは腹違いの子「泰期」は「金満按司」と呼ばれる「奥間鍛冶屋の元祖」です。
察度が王位についた後、父の跡目を相続するために、宜野湾真志喜村へもどり、王族として繁栄し現在にいたっています。

byはやさすら


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驗(しるし)の靈(たま)
「神武天皇は琉球の惠平也に生誕あそばされたり」
神武天皇とは、日本の初代天皇で天皇家の祖とされている人物です。「神倭伊波礼毘古命( かむやまといわれびこのみこと)」と呼ばれ、 諱は「彦火火出見(ひこほほでみ)」あるいは「狭野(さぬ)」といわれます。
「伊波(いは)」の文字に注目です‼
彼は沖縄で生まれ出でたといわれています。伊平屋島に残る伝承に基づき、聞き取り調査を行い、「ウブガー」を見つけました。この「ウブガー」は地元で「ユタガー」と伝わっていますが、ある神人には「ティーラガー」と継承されていました。
ティーラガー(ティラガー)とは、太陽の神霊をうつしたまう聖水である。

岩屋天狗に関係する真方衆(まがたんし)の先祖は「神武天皇の長子神八井耳命(かんやいみみのみこと)の王子建磐龍命(たけいわたつのみこと)」です。神八井耳命の子の健磐龍命は阿蘇で「阿蘇都媛命」と結婚しました。二人の間に生まれた子は「速瓶玉命 (はやみかたまのみこと)=阿蘇都彦」といいます。

国造神社(こくぞうじんじゃ)は熊本県内において、最も古い神社の一社です。ここは、速瓶玉命(はやみかたまのみこと)が、父親である阿蘇神社の主祭「神健磐龍命」と共に阿蘇の地を開拓したところです。
ここ国造神社は、阿蘇神社の北にあり、「北宮」ともいわれています。
偶然見つけて立ち寄ったところでした。
国造神社には四柱の神が祭られています。
・主祭神ー速瓶玉命(はやみかたまのみこと)(初代阿蘇国造)
・雨宮媛命(あまみやひめのみこと)速瓶玉命の妃で海神の女神。
・高橋神(たかはしのかみ)速瓶玉命の第二子。
・火宮神(ひのみやのかみ)速瓶玉命の第三子。

びっくりするくらい大きな杉の木があります。
それは、国造速瓶玉命の手で植えられた杉と伝わります。昔は男杉・女杉の2株だったようですが今は女杉だけが残っていました。そして、全国的にも珍しい鯰を祀った宮もあります!
それを鯰宮(なまずのみや)といい、健磐龍命が阿蘇の火口湖を蹴破り干拓した時に湖の主である大鯰が出現し、健磐龍命は「お前が居ては人々が住めない」というと、鯰は頭をたれて去って行ったそうです。人々が豊かになるために退いていただいたということで、ここはその鯰の霊を祀っています。

「速瓶玉命 (はやみかたまのみこと)」が「阿蘇氏(あそうじ)」の祖であり、皇別「阿蘇君(あそのきみ)」で、その末裔があの三笠宮家へ婚嫁(こんか)しています。
三笠宮寛仁親王といえば、沖縄県元副知事嶺井政治氏をトルコのアナトリア考古学研究所の総指揮に任命したお方です。

神武天皇の第2皇子神八井耳命(かむやいみみ の みこと)は多氏・火氏・阿蘇氏の元祖とされ、皇別氏族となっています。また九州は、「火の君」「阿蘇の君」「筑紫の君」が勢力をもっていました。
「阿蘇の君」が兄「火の君」は弟といわれ、「多氏」の血を受け継いでいて、その後「火の君」に由来した「肥(火)の国」となっています。

古代には
「日」と「火」と「霊」を司る人々に分かれていたようです。
「日(ひ)」=王族
「火(ひ)」=王=祭司族
「霊(ひ)」=祭司族

琉球で中心にいた一族は
「祭政一致」という点で「火(ひ)」を司る一族と思われます。

沖縄は「加治屋(カンジャヤー)」や「カニマン御嶽」など「火」に関係が多く、琉球王国以前の察度王もカンジャヤーの出です。

彼の母は「天女」といわれています。




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