アイはやさすら ほどきむすび

琉球弧の神々と歴史を取り戻そう。 お爺、お婆が守ってきた宝の島✨琉球‼ 私たちに今何ができるのか。 まずは知ることから始めよう‼

< 2024年04月 >
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てぃーだイチオシ

ことひらの神




靈の満潮(みち)

「トウトウタラリ、トウタラリ」

さぬきなる 
「ことひらの神」のみもとにぞ
開く鍵あり 受け取りて立て
「ことたま」の尊きおしえ現れて
やがて開けむ石戸なるかな
神はかりはかり仕組みて今ここに
教え導く時は来れり

ことひらの神の元に開く鍵があるといいます。

「琴平の神」は「金毘羅の神」
「金毘羅の神」は「鷲の神」
「金毘羅の神」は「鰐の神」
「金毘羅の神」は「大物主」
コンピラ、クンピラ、クンビーラ、クビラとも。

「金毘羅の神」

東は北海道
西は沖縄与那国島
日本を守護する金毘羅の神。

天津神饒速日命は
首里森真珠森から蘇る。
明けにアカツキ
瀬織津姫現る。

山幸彦や神武天皇を導いた塩土老翁は猿田彦大神と伝わる。


海神は海守るの宮。
ウチナーはィンミャーヤー(海宮)
オオミケぬ神。大水気ㇴ神。
ミケ→ミキ→ミク→ミコになる。
アマミコは、天水子でもある。
水子はまた「ヒルコ」で「ヱビス」のことである。

「ミケハ ヒルヨルニ クマリテ」
「水なるかな、水なるかな、姿なきに至る。」

龍の根。龍王。海の神。水の神。
恵比寿神、日本唯一の七福神。

月の神。星の神。
新月に目を閉じ
満月に目を開く
この神の正体は「光の神」なり。

照神→テルカミ
輝神→カガ八子(やく)カミ
カガ=蛇
八子神=トホカミエミタメ=八御子神
光=輝→キ=氣の神

テル神=ティル神=テイル神=インの神
=イの神=日の本のことをいう。
照神、海神棲まう島。
日月表裏一体 日月神。
大本神は、
水在るところ「シロシメス」

ヒルコ、水蛭子、昼子、日流子、日依子、日夜子、日和子、干る子。
半神半人の神、蛭の神、人首竜身の神。

この神、足為し(足無し)神。
舟を足とする。
初め葦舟、阿始の舟、木船、
「キの神・ケの神」ともいう。
枯れの野を駆ける舟は、枯野(カヌ)と名付。カヌーという。
役目果たし枯野は燃え、火の精受け琴と鳴る。
 
沖縄では、
「根人根神」
「ウミナイウミビ」
「ウナイエケリ」

「ヒルギヒルメ」
「ワカヒトワカヒルメ」
「ヒルコヒルメ」は、
「ヒコとヒメ」
「日御子日巫女」の始まり。
「コとメ」→「クとム」→「キとミ」
コメ=クム=キミとなる。
籠め=汲む=君。


ウチナーンチュの魂のモトノモトは、海に沈んだ海底竜宮。

岬に潮立つ花、竜の鼻
「タチバナ」思い出せ。
荒波、渦潮、潮の満、潮干る庭

潮干れて口開く火の宮、
潮満ちて口閉じる水の宮。
火水(神)の宮。

アギ竜宮(陸竜宮)
海底で身をよじる竜の姿は
深海に潜る洞穴の宮、海神棲む竜宮城。そこはモトノモト大神宿る島。

鶴は千年 亀は万年。
「白鳥(シラトリ)は天を知るといえど地を知らず。亀は知らぬことがないという。」

大きな岩ひとつ。
天の常立ち
地の底立ち

大地もとひとつ。
常世神、磐の大神、岩の大神、祝の大神、顕る。


コトヒラとは、言霊(ゲンレイ)で言開く。
コトヒラとは、言霊(ゲンレイ)で事平す。

平す=ならす

byはやさすら



靈(タマ)の満ち
「山陰神道」は、昭和29(1954)年に興りました。第七十九世山陰基央は、昭和22年(1947)中山忠徳の猶子となる。
彼は沖縄を訪れ、そこで衝撃を受けた。
人類の信仰の根源、真髄を沖縄に視たのだ。これは、山陰基央氏の人類に向けたメッセージである。

「起(タ)て琉球の児等」

琉球を始めて訪れ、その深い感動に号泣したのは昭和四十七年の夏であった。

琉球を愛する私の心情は、琉球の魂と同化しているのである。もし誰かが琉球を軽蔑する人があるとしたら、私の心は怒髪天(ドハツテン)を突く勢威(イキオイ)で、その人の頭に大喝するであろう。

無知蒙昧(ムチモウマイ)とは君のことだ。
君は、琉球の御嶽が、伊勢の皇大神宮や有名古大社の原形であり、今も尚、其処に岩座(イワクラ)だけの祭場があることを知らないから、原始的宗教を求ずる琉球人を恥しいと思っているのだろう。

馬鹿なことよ。

文明に毒された世界の高等宗教は、今や世を救う力を失ったのだ。

形態だけの社殿に住む神を拝む人々と、創造の力を失はぬ自然の斎場(ユニハ)に住む神を拝んでいる琉球人を比較して、どちらを尊いと思うかね。

原始の斎庭に来る神を拝みつつ、現代文明の社会に活きる、この琉球人の存在は奇跡にも似た現実である。

まさに驚異の事実である。

それは、在留米人の知識人(インテリー)はもちろんのこと、本土の知識人や心ある宗教人、また芸術家も

人類の古里をここに観ると·········

君の狭い視野と、無知からくる自己卑下コンプレックス)を捨てたらどうだ。

たとえ。君が本土の大学に学んだ人だとしても、生れ育った琉球の山野が、人類再生の源泉であると気づかないのは魂の真眼が壊(ツブ)れているからだ。
この明盲目め!
脚下照顧せよ!

どこの国の民も皆、今こそ、己が古里の魂を蘇生させようとしているのだ。

なんとなれば、人類世界は重大な転機に起ったからである。

自滅か再生かの断理に立っている人類は、この恐るべき悪魔の文明(物質万能の文明)から脱出しなければならないのだ。
では何処に帰るのか。そのことすらわかってはいないのだ。
その重大な時に、沖縄海洋博に多くの人々は訪れてくる。

その僅かな人々でも、必ず聖なる御獄に詣でるであろう。

その人々の中には、他郷に出でし琉球の同胞もあるだろう。それらの人々が、爆発するような魂の開眼を得て人類救済の光明を見出すことだろうよ。

心すべきは、君自身の覚醒にあるのだ

私は心から琉球を愛している。
琉球は私の魂の一部である。
日本の源泉たる琉球を誰人(タレビト)にも汚させたくはない。
それが、たとえ、琉球の人々であれ、私の怒る鉄槌(テヅチ)は下るであろう。

今や琉球の山野は琉球人だけのものではない。

「琉球は人類の宝である」



昭和五十年七月一日

山蔭 基 央 貴嶺官にて


byはやさすら



魂の満ち

豊穣の世のことを「ミルク世」といいます。ミルク世は、琉球弧全域でよく知られた言葉ですが、太平洋側の沿岸部にも伝わります。
八重山の竹富島では、稲の種取り祭のさいに、舞台にミルク神が登場して「ミルク節」というのをうたいます。

「ミルク節」
ミルクユーの昔  
(昔あったというミルクユーの豊年が)
くり戻ちなまに 
(いままたくり返して来て)
お真人のまぎり  
(万民こぞって一緒に)
遊ぶうれしや   
(遊ぶのはまことに嬉しいことだ)
 
道道つまた    
(方方の辻辻で)
歌うたて遊ぶ   
(人々が歌をうたって遊んでいる)
ミルクユーのよがほ  
(これはミルクユーの豊年が)
近くなたさ    
(近くなっているを喜んで祝ったもので)
まことにめでたい

よ(ゆ)がほ=豊年=ミルクユー
果報な世=豊穣の世・幸せな世

ミルクユーは過去にあった理想的な豊穣の世の中という意味。
みんなが一緒に「神遊び」をする祭りのなかで、それがまたくり返されるとうたわれています。

豊穣の神となった沖縄のミルク神。

また釈迦入滅後、56億7千万年後にこの世に現れ、竜華三会(リュエゲサンエ)の説法によって釈迦の救いからもれた人を救うというのが、仏教における弥勒です。

尊ばれるウチナー精神。
人を思う心が宝物。
心(見えない世界)輝く照神となれ。
尊ばれる人となれ
幸多きかな沖縄ミルクユー

千年経た松の緑葉の下で、
鶴亀が舞い遊ぶ。
亀が歌えば、鶴が舞う。

大国ぬミルク
バガ島にいもち
御かきぶせみしょうり
島ぬ主 島ぬ主

ミルクユーやいもち 
遊ばばん遊び 
踊らばん踊り
御免(ウユル)しでむぬ 御免しでむぬ

ミルクユーぬしるし 
十日越しぬ夜雨(ユアミ)
掛きぐさいみしょり 
御世(ミユ)ぬしるし 御世ぬしるし




byはやさすら

沖縄みるく世。証。



玉の三命(みち)

24の長老が語る。
「耳から耳へ、語り継ぐ音秘め(乙姫)語り、目から目へ、記し継ぐ物(無の)語り
言葉に呪力を宿す音使いの秘法(秘宝)が隠され、忘れ去られた・・・
残ったのは、後書きのモノガタリ。」

竜宮乙姫、棲まうは
根の国、底の国。
根=音→音の国→音とは響きのこと。
乙姫=音秘め
竜宮乙姫は、のちに隠り神となったため、音無しの状態であるということを暗示しています。文字からは音を捉えることはできません。

この国は神を秘めた(音を隠した)神秘な国となっていますが、太古日本は秋津島といいました。
この秋(アキ)は、明らか、さやかといい、さわやかの語源でもあります。清らかではっきりしているということ。
神秘のない国のことを秋津島というのです。
秋=アキ=明・開・顕の意
明(サヤカ)の島。
崇神朝の時代を堺に、私たちからもそれは隠されてきました。

親は、子の誕生と同時に祝福を贈る。
「健やかであれ、幸多くあれ・・・」
あれ、あれーと。言祝ぎ絶えず。
先祖を敬いたたえ、母から子へ紡がれた寝物語。あたたかな見守りと母の愛情。言の葉の真の道。

目には見えないが、ある。
氣をよみ、氣を感じる。
この世界観が日本人の原動力となり、日本を動かしてきたのです。






うちなー、沖縄は根の国、底の国、南極大陸のひな型なり。
南極から、それ以外の大陸は分裂し移動していった。よって南極大陸のひな型となる沖縄は扇(奥義)軸であり要なのです。
また沖縄は門口、世界の神々の通り道。沖縄にはあらゆる神々の痕跡あり。

byはやさすら

ご案内です!




皆さま、ご案内でございます。

本日11月25日14時より、首里城祈りの会の講演会が行われます。

お時間都合の良い方はぜひ!

『仲村高子講演会』
甦る首里城を守る会
琉球古神道研究部会部長
仲村高子女史による講演会

沖縄創世神から未来に向けて。

主催:首里城祈りの会
場所:美ら島財団の事務所内
   (元松山御殿跡地)
〒903-0822 
那覇市首里城桃原町1丁目13番地
沖縄美ら島財団 那覇管理事務所(2階)

https://maps.app.goo.gl/yj7PNu6hhRwzCeJKA

日時:11月25日
時間:午後2時~
参加費:¥1.000

https://yomigaeru-shurijo.com/




世界を回るウタ姫
小野八幡神社の権禰宜「涼恵」でございます。

後援に宮古神社でございます。


「くくり」という歌は、調和・和合がテーマです。
なんと!なんと!
オランダのチャートで1位に!!
すごっ。

この度神島宮古島に舞い降り、神唄をお披露目させていただきます。

耳心地の良い唄声で皆さまが癒やされること間違いなしです!


宮古島にお住まいの皆様!
ご家族で、お子様連れでも大丈夫ですよ。

この機会にぜひ!

チケット購入希望者は、アイはやさすらまでご連絡ください!!

または、直接開催場所へお問い合わせください。

①Spa&Resort Haku
(スパアンドリゾートハク)
電話番号 0980-79-7198

②アイはやさすらMessenger
https://www.facebook.com/profile.php?id=100007445820626

③アイはやさすらGmail
aihayasasurawith@gmail.com


日時 11月26日日曜日
入場 16時30分
開演 17時

場所
Spa&Resort Haku
(スパアンドリゾートハク)

https://g.co/kgs/4vHkog

前売り
大人  3000円
中・高生 500円
小学生  無料



翁顕る?


瑞(しるし)の玉
沖縄は「翁」の島。
ウチナーの語源の伝承には、
「オキナ=翁」というのがある。

オキナの島、ウチナーだ。

翁とは、杖を持ち知恵を与える白髪、白髭のお爺さん。

翁とは、宇宙創造のはじまりからすでに出現していたもの、今まで一瞬の途切れもなく、王位を守り、国土に富をもたらし、人民の暮らしを助けてくださっているという。

翁ときけば、住吉大明神、諏訪明神、塩竈の神、時には山王、三輪明神として顕る。

翁は天と地をつなぐ者。



時には乞食翁として顕る。

翁の御姿は
立烏帽子を着け、鮮やかな光を放つ太陽と月をあらわし、手に持つ数珠は星を連ね、扇は十二の月をあらわす。

翁を宿神というのは、太陽と月と星の光が地上に降り、昼と夜が生まれ、物質が生まれ、そしてその光は人に宿った「太陽と月と星」を宿神という。

翁は、キミと羽であらわされる。
王を鳥とする。
王の眼は、四方の世界に視界を注ぐ。
王の耳は、四方の世界の物音に注意を張る。

いにしへも
今もかわらぬ尉と姥
しらがもわすれ
言の葉もなし

夫婦和合の象徴

「翁と媼」
「鶴と亀」

再びミルク世を寿ぎ祝う。
國萬造主大神と常世姫大神


byはやさすら




来間島の娘たち


霊(たま)の驗(しるし)
宮古島の小さな島。来間島。

生活に欠かせない水をこの島では来間ガーから頂きました。
海近くにある来間ガーには、現在そこへ向かう車道が通っていますが、その前は集落から徒歩で、急な坂道を下ってしか来れなかった場所です。

島での生活水はこの来間ガーから運びました。その水を運ぶのは、島の娘たちの仕事で、急勾配の坂道を何往復もしたのです。
来間島の娘たちは、容器やバケツを頭の上に乗せて歩く練習を幼い頃から始めたそうです。それはもちろん、水運びが彼女たちの仕事となるからです。

彼女たちの水汲みは、生命の危険がつきまとう想像絶するものでした。集落から来間ガーに行くには、高さ約40mほどの断崖絶壁の道を下っていきます。道を踏外せば、死の予感さえする難所でした。

さらに来間ガーから集落へ戻る時には、重たい水を頭の上に乗せて、急勾配の坂道を上り運ぶというものです。
その過酷極まりない仕事は数百年もの長い歳月にわたり、彼女たちを苦しめてきたのです。しかも、水の入ったバケツをこぼさずに頭の上にのせることは至難の業で、誰かいれば手伝ってもらえなんとかなるけど、ひとりではのせられないこともある。さらに、ひっくり返してこぼせば、また深い井戸に手を伸ばし汲みなおす。そして、百段の坂を登る。何度も何度も運ぶ、体力と気力の戦いでした。

彼女たちの努めとして、それは戦前も、戦後も変わらずに続いていたのです。しかし!そんな過酷な労働にやっと終焉の時が訪れたのです。

1972年。
アメリカ世から日本に返還された沖縄。
「未来の子どもたちの幸福の為に」と仲村俊子女子の尽力による日本復帰です。

待ちに待った、水運びからの解放!!

復帰から2年後の1974年、この小さな島に水道が敷かれたのです。
まさに、未来の子どもたちは、この水汲み、水運びという過酷な労働から解き放たれたのでした。

物質に長けたアメリカ世でも、この環境は変わらなかった。しかしそれは日本復帰後に成し遂げられたのでした。

日本国万歳!と言いたくなりますね。

生命の要である「水」
私たちは長い間、湧水やあま水によって命を育んできました。
今では、当たり前のように蛇口をひねれば水が出てくる時代になっていますが、あの頃の沖縄は、あちこちで水汲み、水運びが行われていたはずです。

ご先祖様のご苦労の時代があり、私たちの今に続くという「水」。
「水」への感謝を忘れずに過ごしたいですね。

わたしの習慣は、朝起きてまず常温のコップ一杯の水を飲むことです。
清々しい朝、コップ一杯の水に皆の健康と喜び事に感謝をして飲みます。





byはやさすら




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