驗(しるし)の玉
天の刻の到来。光は東方より。
西はウシハク
東はシロシメス
ウシハク(領地重視)
結果重視の世界、手段を選ばない政は終わる。
そして、
シロシメス(公平無私)
光明により「言向け和す(ことむけやわす)」
宿の神、底の神、四方の海
巨大な一枚岩の上、地軸ひとつ。
皆、同胞(はらから)生まれた私たち。
本物を知る時が到来した。
内(ウチ)と外(ソト)を調整し調えよう。
あまねく被(おお)う光と水に、私たち生命はいかされている。
古の沖縄の集落は、「風水(フンシ)」風と水の調和したところを最も良い 居住地としました。
湧水の源を軸とした山裾は、地下水が流れ出、私たちの祖先は、ミズが流れる土地「ツルノ」の地を最高の居住地としました。
「真頂(マツヅ)襲(おす)ひ召しょうれ」
生命の源である「水」
その水の源を山に求め、その水の体をなす
ムイの状態を守ることで、生命を維持し育んできたのです。そしてその山はいつしか信仰対象となっていきました。
山を守り保つことで、自然界の生物や草木を活かすことになり、そうして貴重な清水を守ってきました。
諏訪などでは、冬眠中の山神である蛇を静かに過ごさせるという「御室神事」というものもあります。
またとぐろをまく蛇体を山に見立て、それを御室(ミムロ)の神ともいいます。
沖縄の「山留め」は、春に活発になるハブを脅かさないため、また草木の新芽などの成長を妨げないため、入山を断つものです。
山仕事をする人々の手足を守ってもらう「手足の御願ティフィサヌウニゲー」という祈願もあります。
北部に残る神事「ウンジャミ(ウンザミ)」
雨をもたらす雲(ウン=生む)蛇身(ジャァミ=雨)
大雑把な説明ですが、
山から流れ出る「湧水」は、海へ流れ出で、「雲」となり、それが山へ降り注ぐ「雨=清き水」となる。それを、アマオリ・アマオレとも。
「アオ(フ)リヤエ」「サシカサ」などの神名にも残ります。
伊平屋島では、伊是名・伊平屋各集落で雨乞いをおこなっても、雨が降らない場合、最終の雨乞い儀式の場は、伊平屋島のあのクマヤーです。
私たちの祖先は、その自然の仕組み「循環」に感謝し、それを守ってきました。
辺戸のアシムイ=アフリムイは、雨降り森。
天笠(あまかさ)=雲を喜び、冷傘が立つ時、辺戸から飛脚を出して、首里に向かったといいます。
辺戸のアフリ嶽は君真物やウランサン(冷傘)や新(アラ)神(キミテズリ)の出現があると伝わるところです。
異説
「金龍玉依姫」が出現するとか?しないとか?
私たちの森は、生命の糧となる物を生み出すところ。それが母の腹に例えられ、ムイ(守)を定め、集落がつくられたのです。
私たちの根元の神「ウミノオヤ」産み=生み=海
親の膝の上に座るこども。
それがムイ(御嶽)と集落の関係性です。
守り守られの相互関係
「ムイ」をそのままの姿で保つということは、
私たちの血である清い水を守るということ。
湧水御神(カーウガミ)は、その感謝と約束の儀式でした。今は井戸御願(カーウガン)となりました。
アフリムイに御座(おわ)す神は「大山祗大神」
(大山阿夫利神社(おおやまあふり)神奈川県伊勢原市在)
沖縄の北部にその神が祀られている宮があります。
「あま」の「あ」は開ける、声を発すること。
「あま」の「ま」は間、神と人の繋がる場
byはやさすら