アイはやさすら ほどきむすび

琉球弧の神々と歴史を取り戻そう。 お爺、お婆が守ってきた宝の島✨琉球‼ 私たちに今何ができるのか。 まずは知ることから始めよう‼

< 2020年07>
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てぃーだイチオシ



驗(しるし)の魂(たま)
「子の年真ん中にして前後10年が正念場、世の建て替えは水と火とざぞ。金で世を治めて、金で潰して、地固してミロクの世と致すのぢゃ。三千世界のことであるから、ちと早し遅しはあるぞ。少し遅れると人民は、神示は嘘ぢゃと申すが、百年も続けて嘘は云えんぞ」
日月神示の預言が思い出される時期到来です。

預言は人を惑わせ、また整えもする。
よげんには「預言」と「予言」がある。
「預」と「予」の持つ意味は違う。

【ホツマツタエ】
天地開闢のとき、陰陽がわかれた。
陽は天となり、日をつくり、
陰は地となり、月をつくる。
第一子長女の天照大神は「日神」
第二子長男の月夜見命は「月神」
第三子次男の栄日子は「海神」
三皇子、地球をまもり司る。

太古に沖縄を足掛けに日本へ渡った
「国常立尊」や「神武天皇」
彼らも預言者であり予言者なのである。
そして、彼らを能力者と呼ぶ。

また宮古島には、600年前に実在した「クバヌパーズ御主」彼も預言者と伝わる。
海の大扉といわれる漲水御嶽のクイチャーは、クバヌパーズ預言の悦びの歌である。

クバヌパーズ開かれし御墓
https://uluru5.ti-da.net/e1849400.html

更に、宮古島には世界の動きを司り、世界を見透すという天地の両眼が存在する。
それは、世界を見張っていて見開かれたままだという。

更に!
「やがて、釈迦やキリスト以上にメシア的人物として、世界的にも見直される日がくるだろう」といわれる歴史上の人物がいる。

「日本」という国を、堂々と表明した「聖徳太子」である。

「日本」・・・本来の呼び方とは。
「日本」は大陸から渡ってきた漢字。

ジパング、ジャパン、ヤポネ、ジイ(リィ)ビン、ニイポン等々、これらは全て外国からの呼び名で、さらに「ニッポン」となりました。
今あげた呼び名は全て、濁音、半濁音になっています。

日本=にほん
清音で呼ぶのが正しい読み方です。
しかし、本来は「ひのもと」です。
≪東海の日の出の島、北半球の一番東北の隅に位置するヒノモトである≫

聖徳太子は、物部氏の血脈を持ち、かつ預言者であり予言者である、占星術師だ。

聖徳太子がもっていた「七星剣」には、北斗七星が彫られてる。その北斗七星とは、
北斗七星=天帝の御者(森羅万象の運行を司る)

また、彼は手に笏をもつ。

「世界に三つの笏あり」とタイの高層から教えられた。
ひとつは「木」
ひとつは「鉱物」
ひとつは「金属」だと。
ちなみに聖徳太子は「木の笏」この笏は呪術的秘儀で使われてきた。

何よりも、すごいのは聖徳太子の直筆の予言書の発見である。それは四天王寺にあったといわれる。
「日本国未来記」と「未然本紀」
この書のことは、日本書紀に「未然を知らしめす」と書かれ示唆されている。

宗教は、洋の東西を問わず、権力を思うままに利用し政治を使い、大衆を救うどころか、逆におどかす手段となっていった。

聖徳太子は戒めていう。
「日本の道が一本の木の根や幹であるとするならば、儒教や仏教は枝葉花実にあたる。それらを楽しみ、大いに利用し、活用しなさい。ただし、根本、基があることをわすれるなよ」と。
残念ながら、聖徳太子は家族諸とも抹殺されてしまいました。


最後に
1916年(大正5年)に来日したフランスの詩人で
神学者のポール・リシャール(1874年~1964年)1917年に発表した「告日本國」の詩です。

曙の児等よ、海原の児等よ
花と焔(ほのお)との国、力と美との国の児等よ
聴け、涯(はて)しなき海の諸々の波が
日出づる諸子の島々を、讃(たた)ふる栄誉(えいよ)の歌を
諸子の国に七つの栄誉あり
故にまた七つの大業あり
さらば聴け、其の七つの栄誉と七つの使命とを

独り自由を失はざりし亜細亜(アジア)の唯一の民よ

貴国こそ亜細亜に自由を与ふべきものなれ
曾(かつ)て、他国に隷属(れいぞく)せざりし世界の唯一の民よ

一切の世界の、隷属の民のために起つは、貴国の任なり
曾(かつ)て滅びざりし唯一の民よ

一切の人類幸福の敵を亡ぼすは貴国の使命なり
新しき科学と旧き知慧と、欧羅巴(ヨーロッパ)の思想と亜細亜の思想とを自己の裏(うち)に統一せる唯一の民よ

此等二つの世界、来るべき世の此等両部を統合するは貴国の任なり、流血の跡なき宗教を有てる唯一の民よ

一切の神々を統一して更に神聖なる真理を発揮するは貴国なる可し、建国以来、一系の天皇、永遠に亘る一人の天皇を奉戴(ほうたい)せる唯一の民よ

貴国は地上の万国に向かって、人は皆な一天の子にして、天を永遠の君主とする、一個の帝国を建設すべきことを、教へんが為に生れたり、万国に優りて統一ある民よ

貴国は来るべき一切の統一に貢献せん為に生れ
また貴国は戦士なれば、人類の平和を促さんが為に生れたり。

曙の児等よ
海原の児等よ
斯く如きは
花と焔との国なる貴国の
七つの栄誉と
七つの大業となり


・・・・・・・・・・・・

≪その時、東の国、日本から人類の待ち望む“光”が湧き上がる≫




byはやさすら



驗(しるし)の靈(たま)
「ウテンチヂヌシ ヌールヒカリユヌヌシ」
琉球最高神、琉球神の根、生命誕生一切の生きる道の光を賜る、天軸、地軸、底神に通じる。古代琉球から、三つの石を奉り、守ってきた。
このウミチムンガナシ(三天神)を統括した、生天光神である。
三天神の御神体のイビは、復帰前に高等弁務官により、アメリカへ持ち帰られ、高等弁務官の通訳をしていた人物により取り戻されました。シズ子女史は、インジョウジン(結納金)を納め、神の御告げ通りそのイビを迎えました。そして旧暦九月六日
そのイビに、生天光神が降臨されたのです。

陰陽石と中心石はなんと!「隕石」です。
(専門家の鑑定済み)

「生天光神は宇宙大自然の軸神なり」
「生天光神=ウミチムンガナシ」

神がこの世に現れ、道しるべとなって、御教えを下すこととなる。その神が「生天光神」であり、その神の使者が「光主=渡嘉敷シズ子」である。
シズ子女史は有能なシャーマンであり、また宗教者としての素質に優れていたという。

渡嘉敷シズ子女史の手記より
昭和三十年に生天光、神名を御開き、五月五日のこどもの日にて、青空高くひるがへり、平和の軸心立ちませり。信仰の栄へる日に開帳いたしました。
生天光神は人類の尊き御親神。もろもろの御守護を給わうなり。



「生天光神」は降臨され、
渡嘉敷シズ子女史の「マシジ神(真筋神)」となられた。

渡嘉敷シズ子女史が、すごい!といわれる所以は、ユタ、ノロ、根神、またはそれ以外の信者をとりまとめ、組織を作り上げることに成功したことだ。
彼女の説得力ある、神の道に共鳴し、活動したのは300名にものぼるという。




シズ子女史は
「決してユタの学校ではないし、ユタの神社ではない」という。しかし、世間はそうではなかった。
彼女は最も有能で、独創性の高いユタであったといわれ、神からの「ウシメシ(御示し)」から教義を編みだした。
生天光宮の巫業に従う、プロのユタを配下に結集するという難事を成し遂げたのである。

彼女は「琉球古神道を理解し、神の道を求めるものは誰でも参加できる」といいます。


ユタの道を習得すべく段階で、著しく個人差が出てくる。
霊感力があって有能なユタは、その才能にまかせて独創的な領域を広めていき、そうでないものは、伝統的引き継ぎ程度の段階で止まってしまう。
この差がもっとも問題となって現れるのが、「神観念」「宇宙論」等の領域である。

渡嘉敷シズ子女史は、この点において最も高い能力を発揮したのである。

それは、下記の連名を見れば納得であろう。

昭和43年
生天光宮の建設のための趣意書に署名された方々
与那城村村長・収入役
自治体公職者
屋慶名地区区長
農業組合長
渡船組合長
周囲地区、部落会長
普天間権現宮司
波之上権現宮司
天久権現宮司
沖権現宮司
首里赤田町三殿内

昭和44年旧九月六日
「生天光宮」建立が確定
生天光神の降臨したその日から15年後である。
一般の信者を結集して信者組織集団をつくりあげた。




「一切は一体であることを知る」

ユタ性を脱却し、琉球神道に根ざしながら、そこを超脱して新しい神道を樹立したい意向を示した。


渡嘉敷シズ子女史の、神人や、ユタの組織作りの重要項目となる「神帳簿」の登録。

神帳簿には、師職になるための資格・条件が設けられている。

「三星帳簿」・・・生天光神の信仰を支える光主以下の各師職に関する任命書、辞令。
①光主
②教主
③教師

「七帳簿」・・・巫職たるために所持すべき七つの資格についての認定登記書。
①マシジ(真筋)帳簿
②スニン(人類)帳簿
③教主帳簿
④教師帳簿
⑤身守り帳簿
⑥ミチヒラチ(道開き)
⑦国元のツカサ帳簿

神の鎮座する、神の国
「神役所」「神警察」
霊感力を持つもののみが師職の地位につくことができる。
これらの資格の取得判断はすべて、光主さまによるという。

「七役場」「七帳簿」など。。。
ユタさんの中に出てくる「神帳簿」は、ここが始まりではありませんが、体系化され沖縄中に広まったのは間違いないようです。


光主さまの「人々の生きる道の教え」の根底に、沖縄が立派になってこそ、日本もよくなる。日本がよくなってこそ、世界全体もよくなるという考えがある。


霊感者、霊能力者=ユタとなる構図を描く、勘違いは沖縄に根強い。
それは見えない世界をひとくくりにすることで、都合の良い人たちがいたのである。それは一部なのかもしれないが。

渡嘉敷シズ子女史は、本物の神人、神司である。
生涯を神とともに歩み続けたその精神力は、並外れたものであったと推測する。

見えない世界ゆえに、誹謗中傷も少なからずあったであろう。それこそ今ではすっかり無くなってしまった「神と真摯に向き合う」というその姿勢には、頭が下がる思いである。

「神と真摯に向き合う」
それは、実は自分自身と向き合うことである。と私は思う。
それぞれの自分軸の確立と、快不快の感覚機能の強化は、現代の私たちが、特に学ぶべき重要事項なのかもしれませんね。


時代の波に流され、靄に包まれた神の世界を、私たちは、知ることすら困難である。

それでも永遠に変わらない大切なものがあるということを知っているのにもかかわらず、自己満足の神世界ばかりを語り、私たちは神(自分)と向き合うことを忘れて手放してしまってきたのか。

光と闇は表裏一体である。
とよくいわれるが、光と闇は、実は同時に存在している。意識を向けた矛先が、心に現れているだけだ。その意識の起こりは心にある。脳にある。

あなたが何らかの選択に迫られ、その方向性を探るとき、知識と感情を基本に、知恵と勇気と自覚でその全貌が見えてくる。



「一切は一体であることを知る」
神を求め、自分探しの友人へ、
あなたの笑顔を求めて贈ります。




byはやさすら

スピリチュアル



驗(しるし)の靈(たま)
「常に地球を守れ、人のため人類のために尽くせ」
全宇宙、大自然、生きとし生ける万物に、幸福を将来する「マシジ神(真筋神)」が、人間界に降臨し、渡嘉敷シズ子女史を選ばれた。

その神の名は「生天光神(せいてんこうじん)」である。

渡嘉敷シズ子女史は、昭和2年に屋慶名で生まれ育った。
12歳で大阪の化学工業に入社し、女子工員として就業していた。
シズ子18歳、昭和20年6月1日、あの大阪大空襲にあう。

B29の焼夷弾に追われ、猛火のなかを煙りに巻かれながら、水で髪を濡らし、振りかかる火の粉を払いのけ、何が何だかわからず、とにかく無我夢中で逃げまどった。

すると突然、周囲が明るくなり、目の前に銀髪の白い口髭を蓄えた仙人のようなご老人が、何やら囁いているではないか。あまりに突然で、ただ呆然とその姿に見いっていると、しだいにその囁き声がはっきりと耳に入ってきた。

「お前が死んだら琉球は消えてしまうぞ」

沖縄の地では、惨たらしい地上戦が民間の人々を巻き込み沢山の方の命を失っていた。

私も死んでしまったら。。。

なんとしても戦火を逃れ、生きて沖縄に戻らねばと決意したという。


シズ子22歳、敗戦直後に屋慶名へ戻ってから、しばらくして結婚をし、行商や日雇いをしながら、二人の女児を授かる。その頃から、駄菓子屋(イッセンマチャー)で家計を支えた。
ところが、28歳の時、3人目の子を妊娠中、夫が脳炎で入院し、その治療費の為に家を抵当に借金をし、貧窮のどん底に落ちた。
そのため、乳呑み子を抱え、産後一週間経たないうちに、生活のために、行商へ出かけたという。

夫も退院し、再起をかけて出発しようと、考えていたときそれは起こりました。


あたかも、電流に触れたかのように、身体を電流が走り、異常なショックを感ずるようになったのだ。
夜毎うなされ、身体は衰弱し、やがて、寝たきりで立つこともできなくなる。ついに精魂つき果てる。夜中に神からの暗示がかかり、電波がはいる。
「神のウシメシ通りにしなさい」
「はい、立ちなさい(決意)」
「神の道を開きなさい」
「カミケイサツをだしてあげなさい」
次々に命令がくる。逆らうと神ダーリィーがいっそう激しくなる。

ふらふらになりながら、歩き続けた。まわりの人々からは「いよいよ、フリムン(気狂い)になったか」と噂をたてられた。

しかし、母親だけは、
「自分の娘は神のいいつけに従って、カミングヮ(神の子)になった」といい、彷徨いふらつき歩く娘に干渉せず、食事をささげていた。

世間の目は厳しく、家族会議で精神病院へいれられることとなる。

このままだと自分の将来がどうなるのか不安になったという。
意を決し病院を抜け出し、屋慶名の自宅に逃げ帰った。
数ヶ月彷徨い続けた彼女は、ようやく元の正常な状態に戻る日がきた。 つづく。




生天光宮の光主さま(渡嘉敷シズ子女史)は、
昭和2年生まれで、現在93歳。
初めてお会いしたのは、生天光宮の鳥居の前で、私は階段下から見上げた状態でした。
その時のお姿は、まるで竜宮城から抜け出てきたような「乙姫さま」でした。

参拝後に社務所に寄りなさいと声をかけていただき、お言葉に甘えておじゃまさせていただきました。

桃色系統のお着物で、髪飾りをつけていました。ほんとに竜宮乙姫だと思いました。

光主さま、開口一番!

「沖縄は命の元、根源であるぞ。命の元、御親神さまを忘れてはならないぞ」
そして、続けて
「その場所は浜比嘉であるぞ」
とおっしゃられたのです。




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