アイはやさすら ほどきむすび

琉球弧の神々と歴史を取り戻そう。 お爺、お婆が守ってきた宝の島✨琉球‼ 私たちに今何ができるのか。 まずは知ることから始めよう‼

< 2021年06>
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てぃーだイチオシ



驗(しるし)の魂(たま)
「神とは?」の、その「問」こそが真理を掴む最初の通過点だと思います。
私も早いうちから、その「問」で「神?」「見えない世界?」を探求し、またそれらに向き合ってきました。

人間のもつ尊い能力「想像力・創造力」「あらゆるモノ・コトを生み出すチカラ」それらはどこから湧いてくるのか?

本質は意識を原初の時代に合わせて物事を捉えることでみえてくる。

ヒトが口から発した最初の「音」は?
私は、言語というものが成り立たない時代
「意思疎通」の為の「初語」や「名」が付けられていく過程などに興味があり、それらが精神世界の「神概念」の大本ではないのか?と「初まり」にこだわりました。

「初めに言葉ありき」

今の世にあるモノ・コト、すべてヒトが生み出した世界です。それに気付き、あらゆる現象を捉え、また調え、それら発見をとりまとめ「神世界」が見いだされてきたのではないのかと。。。

神界の発生とは?
発声と自覚(認識)
ことばの発声が、ヒトとヒト、ヒトとモノを繋ぎ、環境の変化によって脳の進化、思考の開発が進み、それらに(波動など)気づいた人々がいた。
また大自然の事象なども捉え、そこにも目に見えないエネルギー(波動)の存在に気づいた人々がいた。

それらの型が、まさに「カタカムナ」の叡知。

精神世界の発生は
その土地の持つエネルギーや自然環境の影響を多大に受けたことに依るものではないのか?
オキナワの「龍脈(地下水流)」による人体への影響など、水の流れ(清浄)などは特に重要であり、人体や精神への異変、異常などの支障をきたす恐れがある。
(参考「カミングヮ」長嶺伊佐雄氏著書)

それに関して、地球上における「日本」という位置は大変重要な場であると考えます。
自然に恵まれた環境の日本は、エデンの園と伝わります。
火と水のエネルギーを土に宿し、それを敷地とし、米を主食とした「日本」だからこそ、精神世界の開け、目覚めに繋がったのではないかと推測しています。

竹内文書に記された、モノ・コト初め。


その考え方で捉えたオキナワは、「水と風世界」の波動影響を強く受けた敷地環境により、「霊的波動」に目覚めるには好都合の場所ではないでしょうか?さらに太陽の熱エネルギーも受けた、激しさゆえの環境は、ヒトの精神・身体を敏感にしていくものだと思います。

上記(ウワツフミ)に記されたシャーマニズム。薬草や自然の波動、人々の秩序による心の調整など「ウガヤフキアエズ」の始まり。

原始精神世界は、自然とともにあったはずです。
ヒトが人と自己認識し始めた先に、アナタとワタシも存在し、そしてともに生きる家族となり得たのではないでしょうか。
また天変地異などによる、大自然の驚異・脅威が与えたヒトへの影響は、状況を受け入れた上で、恐怖から逃れたいという生命維持の祈り=心の始まりではないでしょうか。


わたしたちは、忘れてしまったとても重要なことを思い出さなければなりません。

そのためには「神とは?」の「問」です。

続く



byはやさすら




驗(しるし)の霊(たま)
天日豊本足葦牙気皇主身光大神天皇
(アメヒノムト アシカビキミノシ ノ ミヒカリ オホカミスミラミコト)
「初めに言葉ありき」の神理を象徴する神の御名
太古日本に残っていた全人類の霊的・人的の祖先です。

小笠原氏の言霊百神によって、古事記が解明されています。
三千年来人類に封印されていた、人類の精神の基本原理を開顕して科学文明に照らし合わせ公開されている「とほかみえみため」の秘書のひとつでもあります。

これが日本に隠されてきたものであり、私たち自身が学ぶべき、精神界の歴史でもあります。
そして、世界中の乱れた精神世界の改善回収は、精神原理を知ることより始まります。

あまりにも「幽界(霊界)世界」にどっぷりと浸かっているオキナワの精神世界。
偏った感情から発せられたその世界は、人々を惑わし、狂う者まで排出しています。

私たちは今一度、しっかり見極めるチカラをつけなければ、次のステージへ進むことは困難です。

あなたが見ている、見えない世界は、「あなたの世界」であり、他者を巻き込むことは混乱の元です。
人はそれぞれの「マウ」に守られ、そのヒトなりの神界に存在しています。
また人はみな役目を持って生まれてきている。といわれています。

神界の神々も、それぞれのお役目とそのチカラが神の御名によって示されているのです。

宗教というのは、「開祖」があり
その「開祖の教え」があります。
それは伝言ゲームのように、たくさんの人々の耳を通過するたびに、開祖の教えは、色を添えられ変化していきます。

私もこれまで、宗教の勧誘に出会ったことがあります。その時は丁寧に「開祖の教え」を伺いますが、ほとんどのヒトが「教え」の中にしるされないことを平気で広めている者もいれば、「教え?」すら知らずにそれらに所属するものもいます。これが現実です。

宗教は、私たちの生きる道しるべとして、私たちを導いてくれる存在。であったはずです。
ましてや、争う為ではありません。

「とほかみえみため」を「宗教でしょ?」というヒトもいます。無知ゆえにでることばです。

「とほかみえみため」は言霊の持つ最高の「清く正しく美しいことば」であり、科学で証明された最高のエネルギーの集約です。

私たちが発している全ての「音」の中から選ばれた「最高の音」なのです。

子供のころ、よく親に叱られました。
「綺麗なことばを使いなさい」と。

私たちは「水の存在」です。
あらゆる波動に影響を受け、あらゆるエネルギーを産み出します。

全てが水(ミナ)に依るもの。

そういえば、水気の無いところに「霊」は存在しない。って「マナチュラ」で話してた。


身体の水を調えることばが「とほかみえみため」ですょ。
私たちの発することばの「クスリ」です。


bxはやさすら








驗(しるし)の靈(たま)
竜宮神界オキナワ

満ちなる水神・宇宙神(ソラカミ)
天之御中主神

御中主は「水中主」とも。

この天之御中主神が降り立ったと伝わる小島があります。
伝承者の長老は「天之御中主神」の別名を「御天長老」であるといいました。
しかし、竜宮神界の神々は、侵略者により完全に籠められてしまったといいます。

オキナワの原初の神は「ユーの神」
世をこしらえた「世之神」といいます。
根の国、底の国、神々の島だと先祖代々言い伝えられてきました。

天地を形づくるすべてを、神として恐れ敬ってきたオキナワ。
幾度となく、押し寄せる天変地異に、苦しみながらも、神々に祈り、自然に感謝する心を忘れずに生きてきました。

「海上より渡りくる人は、皆天よりきたりと思えり、天と海もひとつらなりと見た」

オキナワの古代集落マキョ(マキ・マクとも)の始まりは、7世紀頃とされています。が、社会形成がなされていない草分け時代に、すでにオキナワにはいってきたと思われます。

ツランとも云われる海洋民族
オキナワは海神の島

アランと云われる騎馬民族
7~8世紀頃には、あの騎馬民族系の「天孫族」が大陸より、オキナワに上陸します。
沖縄は、天孫氏の誕生までに1万7千8百年の歴史があるといいます。

マキョ発祥の民族を「赤頭(アカラ・アカシラ・アカズ)」と言います。

天孫族のオキナワ上陸の7世紀頃、
東北では「蝦夷征伐」が行われていました。
エミシ(エビス)たちは、山へ海へと逃げまどいます。先発隊の後を追いかけるように、第2波、第3波とオキナワの地に逃れてきたのです。
彼らは、出雲族とも伝わります。

このエミシの族長名を「赤頭」というのです。


古より海の道で島々と繋がっていました。
オキナワの海人は、自らも渡海人である故、海を渡り来る人々を手厚く迎えます。また、海から漂着する全てを「竜宮神(寄り神)」として大切にまつっているのです。


また、マキョにはマキョを守護する嶽の神がいます。

辺戸集落は「ヒル」と自称。
辺戸のマキョの名は「アシムイ」といいます。
辺戸の人々は、山奥で道に迷った時静座して
「アシムイの子孫でございます」と言って
手を合わせれば、自然に道がわかったといいます。
嶽神の守護を受け、見えない力に導かれるというのです。




岡山県灘崎町にある彦崎貝塚の縄文時代前期、約6000年前の地層から、イネのプラントオパールが大量に見つかりました。これを約4000年前としながら、さらに遡るだろうと考察。
また、熊本県本渡市の大矢遺跡から出土した縄文時代中期の約5000年前の土器に稲もみの圧痕(あっこん)も確認しています。この稲作技術は九州から中国に、そして後、朝鮮半島にも伝わります。
日本から稲作発信?です。

https://www.joumon.jp/%E3%82%86%E3%82%89%E3%81%90%E7%B8%84%E6%96%87%E6%99%82%E4%BB%A3-%E7%A8%B2%E4%BD%9C%E3%81%AF%E3%81%A9%E3%81%93%E3%81%BE%E3%81%A7%E3%81%95%E3%81%8B%E3%81%AE%E3%81%BC%E3%82%8B%EF%BC%9F/



沖縄のサキタリ洞遺跡の発掘調査2009年に実施。
約3万年前の人骨、約2万3000万年前の世界最古の巻貝製釣針を発見。
日本で世界最古の土器、世界最古の「釣り針」が出土しています。
山幸彦がなくした海幸彦の釣り針!(海幸彦と山幸彦物語)

https://www.bbc.com/japanese/37405022


三万年前から三万五千年前に沖縄には人類が到達していた可能性がでています。

竜宮神界の君真物玉依姫神の神宝は「勾玉」
玉依姫神は、白山神界の白山菊理姫神の身魂である。
この勾玉は、時節きたり、琉球に返さねばならぬ。琉球で祀られよ。竜宮神界が隆盛なるように祀られよ。
<山本白鳥聖司>


byはやさすら



驗(しるし)の靈(たま)
ニレーリュウグの御神(ウカミ)がなしーめー

「火」はニライカナイからもたらされたもの。
「火ヌ神」はニライカナイへのお通しと考えられました。そして、火の神の本地は「ニライ大主」だといいます。

沖縄では火のことを「ピー」「フィー」といい、日、太陽のことは「テダ」といい、
火と太陽を呼び分けしています。
火ヌ神を「御三つ物(ウミツムン)」ともいい
また神名を「アカグチャ ジルマァ」「ゼルママ・ゼルマァ」ともいいます。

「ゼルママ・ゼルマァ」
ゼル=地炉(ぢいる)
ママ・マァ=娘⇒全姉妹の守り神



また家の中に祀られた「宅つ神(ヤカツカミ)」ともいいます。
火ヌ神は、女性が一家の守護神として祀ってきました。

火ヌ神は、祖先神信仰とも繋がっており、火をもたらせた祖先への感謝を忘れずに、火ヌ神を崇敬してきました。


また
火の神といえば、木花之佐久夜毘売。天孫の正妃です。

木花之佐久夜毘売は、 邇邇芸命の子を
火中の産屋の中で三人の男子を産みました。

火が勢いよく燃え盛っている時に生まれたのが
火照命(ホデリノミコト・海幸彦)
次に火が衰える時に産まれたのが
火須勢理命(ホスセリノミコト)
最後に火が静まる時に産まれたのは
火遠理命(ホオリノミコト・山幸彦)又彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)とも。彼は神武天皇の祖父です。

沖縄でもお産(スデ)の時に、火を近くに置いたと伝わります。また産褥の期間、焚き火をするのは、産屋に火神を迎えて母子を保護してもらうためでした。

更に出産後は、火ヌ神の前に行き、鍋墨を額につけます。これを「生し立て」として生児が家族の一員となったことを真っ先に、火ヌ神に報告しました。
天の戸籍簿に登録され、この家の火の加護を受ける資格を取得するのです。
また額を水でなでるのは「中庸の人になれ」という意味を込めてです。

子供の名前を役場に届けることを「チリシタン」といいます。チリシタン。。。。キリシタン???




琉球王朝時代「ノロ殿内」「根所」にある火神は、「火神御前」又は「火神の前」と記されています。

しかし、たったひとりだけ、「火神の神名」を持つノロがいました。

それは、「識名ノロ」です。
由来記が編集されたころ
識名火神だけが神名を有していました。

識名ノロ火神の神名「火鉢御神」といいます。

「火鉢御神」とは、香炉を指します。
「~前」ではなく、火鉢そのものに神が宿るということです。



識名ノロの管轄地に
識名宮があります。
古記録
識名宮「尸棄名権現(シキナ権現)」

これは、木花之佐久夜毘売のことといいます。

木花之佐久夜毘売は、出産時の産室で、自ら火を放ったといわれます。そして、火神となり富士山に祀られ、浅間大神(アサマノオオカミ)ともいい、また火山鎮火の神、そして、木花之佐久夜毘売は水神でもあります。

私が初めて「神名」を認識し、その存在を知ることになったきっかけは
この「木花之佐久夜毘売命・浅間大神」でした。




byはやさすら



驗(しるし)の魂(たま)
出雲の王族が、沖縄の御嶽に祀られています。
古代出雲には二つの王家がありました。

東出雲王家⇒向家(むけけ・むかいけ)
西出雲王家⇒神門臣家(かんどのおみけ)

本家である、向家は後に名を富家(登美家)、または出雲家または、諏訪家。
分家神門臣家は、宗像家、八島家。

ちなみに沖縄の琉球国王族の庶家は「向氏(ショウシ)」を名乗っています。

豪族は、出雲両家の娘を嫁に貰い、王家との関係で「オミ」を名乗る資格を得、出雲族を名乗っていました。
オミ=御身=王族=臣(勝部臣・額田部臣・日置部臣)

出雲王朝
初代出雲の王を「菅之八耳(すがのやつみみ)」といい、本家と分家が、交互に主王を司りました。

主王の職名を大名持
副王の職名を少名彦

第六代臣津野(オミツヌ)は、国引王ともいわれ、本家である向家から、神門臣家の養子に入り、六代大名持となります。
臣津野の息子が「アダカタス」といい、あの宗像三女神の父でもあります。

吾田片隅アダカタス
隅⇒スミ=クマと読み交じる


巷では「大隅」を「大隈」と表記するケースが多々見られるが、この表記は誤りであるといいます。
ただし「隈」に「すみ」という読みは存在します。

伊平屋島の「片隈神社」は「カタクマ」と地元では呼ばれています。
その前は、屋蔵という名で呼ばれていたが、片隈神社の守人は、そうではないと。
ここは「ウヤファーフジ」を奉っているといい、その後方の「腰岳(クシダケ)」に、「玉依姫」が祀られているとも。







また「隈の神(クマノカミ)」は熊野に祀られる「イザナミ」でもあります。

伊平屋島の天岩戸神話の舞台は「クマヤ」

根の堅州国(カタスクニ)を
スサノオノミコトが妣(はは)の国と呼ぶ。


沖縄に残る出雲王族の御嶽
その神名を「シマネドミ」全10ヵ所

①アヲヤマノ嶽
②ヨリアゲ森二御前
③中森
④トムツヅイベ
⑤小嶽
⑥川門之嶽
⑦アザナノ嶽
⑧米次城ノ嶽
⑨大森ウイベ
⑩島袋之嶽

⑧番米次城ノ嶽
神名
島根富国根富ノウイベ


「とび」というのは、
ト=留まる
ビ=日
これは、天神日神の祭祀場という義です。




そして、こんな伝承も。

建角身命(タケツミ)
別名≫阿遅鋤日子根神(祖神)
別名≫奇日方天日方武茅渟祀
更に
別名≫大綿津見神
別名≫八咫烏

なんと。彼が「琉球の王」と云わっています。

byはやさすら

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