スピリチュアル
驗(しるし)の魂(たま)
沖縄古事記を伝承していた彼女の姓は國吉、名はカメ。明治五年六月に生まれ、中頭郡護得久村大工廻に住んでいた。
「部間権現」と「普天間権現」の神を見いだしたと伝わる方です。
彼女は「部間権現」の神を「隠世(かくりゆー)なされている神」とたたえました。
古事記では「隠世なされた神」とは「御身を隠したまい」とあり、それを「隠身(かくりみ)」といい、それは、「隠れた古代神」のことをいいます。また「隠世」の言葉が、古い歌にも残されていたことに気がついたのも彼女でした。
北谷モーシーの歌
隠り思里や隠り所に隠ち、上で参る月ん曇て賜ぼり
(かくり うみさとや かくりじょに かくち
あがて める ちちん くむて たぼり)
部間のある本部方面では北谷モーシーの歌を口にすることを恐れるといい、もしそれを歌うと喉を締め付けられるという。また、ここは女だけで詣ってはならず、女を先立ててもならないという。
参拝するときは後になった女達に、男らが
「イエーサイ メンソーレー」と三度となえて呼び入れて一緒に参拝したということです。
「隠身」は「カくりミ」で「カミ」のことで、神界においては最高神がおられる次元のことなのです。
この最高神を「艮金神」ともいい、また「隠れ神」であり「荒神」ともいわれ、世界の建て直しに目覚めるといわれ、更にこの沖縄のどこかに隠された。。。とも。
そこで、この国吉カメ女史が、またこうも語ったというのです。
琉球は世界の神のもとで、従って神の御恩恵が特に厚い国だから神の御恩に感謝するのが、沖縄を救う云われである。。。と。
すごいですね。
とすると、思い出す人物が出てきます。
国吉さんたちの時代を考えると
明治25年、出口なおに「うしとらのこんじん(艮の金神)」と名乗る神が憑依し、明治31年に、出口なおと王仁三郎が教団組織を作った頃でもあります。まさしくその時代にぴったり。
「スサノオノミコト」のことを「ツキヨミノミコト」と解いた王仁三郎のことを知っていたとしても、どこで知ったのでしょうか。
昭和三年に出口王仁三郎が波上で瞑想し、その時に波上宮から二個の小石を「国魂石」として持ち帰られたというはなしもありますが。。。
影響があったかどうかは、残念ながら確認のしようがありません。
さて、実際、古事記に出てくる風習や言葉などは、沖縄の地で見ることができ、または解くことができるといわれています。
スサノオノミコトが母の国、根の堅洲国、根の底津国、根の国に行きたいという。
スサノオノミコトが「母の坐ます根の国へ行った」ということを「死霊之国」へ行ったという意味でとらえられていますが、その根の国の「根」に於ける、沖縄の観念は「根本」又は「根源」を意味します。
「根」ですぐ浮かぶのは、「マキヨ=血族集団」ですよね。
「根所」血族の発祥地
「根屋」最初の家
「根人」根屋の相続人
「根神」血族の祭祀を司る巫女
ということは、根屋、根所に神として祀るので、スサノオノミコトはそこへ行ったと解けるのです。
ウガヤフキアエズの豊玉姫神話の昔話は、琉球の島々に未だ風習として残っていることが多くみられるのです。
神事にあたる、神女の間には秘密裏に口承されている話があるといいますが、この国吉さんもそのひとりであろうか。。。
byはやさすら