天孫の明け
驗(しるし)の魂(たま)
未だ文字起こらず
月の満欠を見て時刻を記し、
万草木の枯を伺て歳を定めたり。
百名村仲村渠、始めて「免武登能城」と号す。
免武登能城を建る人、始めて群類を分かち、民居を定め給う。
これ「天帝氏」なり。
天の御子、天の御孫、天孫氏という。
時に、国中一統、物を知らしめざるべからず。
頭と尾を教化ほどこさば、中頭は自然に化し知るべし。
直ち、国頭、辺土村(辺戸村)に城を移し、
教化をなすこと、島尻(島治り)方の如く一般にされる。
「辺土(辺戸)天孫氏誕生」
国君の始め「天孫氏」。
先にて、国は乙丑の年に闢いて、
後世、一万ハ百余年を経て万物生ず。
大荒の内に、本国の始祖志仁礼久 阿摩弥如の世「九百六十ニ年」
天帝氏の世「百ニ十四年」
国君始め天孫氏二十五紀の世「五千九百ニ年」
紀元前一万七千百五十五年に起こり、天孫氏二十五紀にし千百八十六年に亡ぶ。
天孫人種、神ながらの道、天孫六千年。
スメルの君主は、人民を赤子と呼んで愛撫し、人民は神父として、敬愛した。民族の大生命を拝する。
家族主義が、国家家族主義に発達。
「祭政一致」の国造り。
「ウチ」は日神のこと。(バビロニア系)
皇孫を「内神」という。
皇孫→天孫氏
うちな~→ウチ・ナー?
byはやさすら
この記事へのコメント
初めまして、私はあなたに会いたい
Posted by かぐや姫 at 2022年04月18日 06:45
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