靈(たま)の満(みち)やんばるの山の神
驗(しるし)の玉(たま)
ヤンバルの山の神
国頭の山々は原始の森林で覆われ、昼なお暗く、人を寄せ付けない恐れなすところである。
村の人々はいう。
山の神は、それはそれは恐ろしい神なので、小さく険しく淋しい道を静かに歩かなければならない。
山中では、決して名前を本名で呼んではならない。山の神に悟られないように静かに隠語を使い合図を送るのだ。
水をあまむん
火をあかむん
塩をからむん
斧をたちむん
山ではその名称を言わず、総て暗号でやりとりしなくてはならない。
それは山の神や、木の精霊から難をのがれるためだと。
琉球王朝時代、村人が山をあまりにも恐れるので、御用材も思うように出すことができなかったそうです。
そこで蔡温は、怖がる村人たちの恐怖心を取り払うため、山神を祀らせ祈祷を行い材木を切り出させたといいます。
この神祀りの鎮座祭の時に、村民は身を低く、頭を下げ、三拝九拝したといいます。しかし蔡温は、頭を下げなかったそうです。
蔡温に恐る恐るお伺いをたてると、答えたそうです。
「地方の神は朝臣より位が低いから」
。。。
国頭の人々は、山に抱かれ、山と共に生きてきました。自然そのものを畏れ敬ってきました。そして木や草も、枯れた草木でさえ、一切無意味に抜くことなく、森を守ってきたのです。
しかし、集落の山の神への思いは、一気にかき消されてしまうことが起こっています。
国頭のやんばるの森は、世界遺産登録されました。その調査のためでしょうか、山という山の中、多くの木が伐採されています。
しかも一度もその姿を見たことがない山の森の中が、むき出しに露わになっている悲惨な姿を多く目撃しました。
驚き嘆くばかりです。
ハブよけのまぢないことば(奥集落)
まだらぅすくんわらべー
親道とーれー
みじくんわらべー
下道とーれー
下道とーらば
上道とーれー
ちぶるくだみりば
ずーだりりずー
くだみりばちぶる
たりりやーう
さーあんまー
くわうまがやんどー
じぼーじぼー
byはやさすら
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