アイはやさすら ほどきむすび

琉球弧の神々と歴史を取り戻そう。 お爺、お婆が守ってきた宝の島✨琉球‼ 私たちに今何ができるのか。 まずは知ることから始めよう‼

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消された琉球(沖縄)の歴史⑥祭司族の行方

消された琉球(沖縄)の歴史⑥祭司族の行方

驗(しるし)の靈(たま)
海人族は1年を2年として数えていました。
神社で行われる神事や宮中の神事をみると気づきます。

6月と12月、7月と1月に行われる神事が同じであり「風土記」や「万葉集」などに見える歌垣(かがい)も春秋で行われています。

6月と12月に行われている宮中行事です。
大祓(おおはらえ)
御贖物(みあがもの)
忌火御飯(いむびのおんいい)
御体御卜奏(みまのみうらのそう)
月次祭(つきなみのまつり)
神今食祭(かむいまけのまつり)
大殿祭(おおとのほがい)
解斎御粥(げさいのおんかゆ)
豊受大神宮月次祭
皇大神宮月次祭
節折(よおり)
鎮火祭(ひしずめのまつり)
道饗祭(みちのあえのまつり)
などがあります。

また「1年=2年」は「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」にも記されています。

(倭人の風俗 )
「その俗は、正歳四節を知らない。ただ春耕秋収を記して年紀としているだけ」 (春耕秋収を数えて年数としている)

初期の天皇の寿命が長いのは、
1年を半年としており「1年=2歳」で計算されているからです。


・・・海人族・・・
アマ族・安曇族・隼人族・宗像(宗形)族・海部氏など多種の海人族が古代の海を行き交っていました。
その中でもひときわ目立っていたのは海部です。海部の祖神を祀るのは籠神社です。
籠神社(このじんじゃ)の「海部氏(あまべし)」は、古の系図を持つ有。その系図は国宝に認定されています。始祖は 天火明命で、その子孫を「天孫族」としています。

消された琉球(沖縄)の歴史⑥祭司族の行方

この系図には
「卑弥呼(ヒミコ)=「 日女命」
「台与(臺與:トヨ)=「小止与」
が残されています!

・九世孫「日女命」
亦名「倭迹迹日百襲姫命 (やまととひももそひめ)」
亦名「神大市姫命=日神」
・十世孫「乎縫(おぬい)命」
亦名「小止与(おとよ)命」
彼女の妹は「大倭姫」亦名「倭迹迹姫命(やまとととひめみこと)」
・十一世孫「小登与命(おとよみこと)」は御間木入彦命(みまきいりひこ)=崇神天皇です。
さらに彼の妹=日女命(ひめみこと)です。

消された琉球(沖縄)の歴史⑥祭司族の行方

籠神社には2000年間にわたり伝えられてきた「息津鏡(おきつかがみ)」「邊津鏡(へつかがみ)」と呼ばれる秘蔵の鏡があります。
物部の十種神宝(とくさのかんだから)の中にこの名前があります。


海人族の娘豊玉姫(彦火々出見命の妃)は「潮満珠(しおみつたま)」「潮涸珠(しおふるたま)」の「玉」を持っていましたね。

籠神社の奥宮は、「冠島=彦火明(ひこほあかり)命」が「沓島=日子郎女(ひこいらつめ)=市杵嶋比売(いちきしまひめ)命」が祀られています。

そもそも・・・籠神社の祭神は
奥宮に祀られている祭神をみれば分かるとおりです。
「 彦火明命」で「天火明命」ではないですょ。

⚫海部氏=「天火明命」=天神=天孫族
アマベ氏
⚫海部=「彦火明命」=天孫氏
アマ
この「天火明命」は「彦火々出見命」の児(子)として系図に入ってきました。


「海部(あま)」は「忌部」と繋がりがあると前回話しましたが、
「海部(あま)」と「海部(あまべ)」が沖縄の隠された歴史の鍵を握るように思えてならないのです。


日本の 祭祀の始まりは「天岩戸開き」神話からだといわれています。
その「天岩戸開き」の祭祀の中心は天太玉命、天児屋根命でした。
天児屋命が太祝詞言を奏上し、天太玉命が五百津真賢木に鏡、勾玉を飾り付けて自らが持ち、この時行われた祭祀が神道祭祀の始まりなんです。
そしてその場所が、伊平屋島のクマヤではないかといわれています。
昭和43年、伊平屋島で行われた天岩戸の神事は6月30日から7月1日にかけて行われたのです。


また、 天児屋命の子孫、中臣氏の「中」とは「神と人の間」という意味で司祭者のことです。中臣氏の中で「亀ト」を行うのを「ト部氏(ウラベ)」といいます。現在の神宮、宮廷祭祀を担当しているのは、この中臣氏です。
「中」の字は「那珂」ともに書きます。ということは、伊是名島の「名嘉」さんたちも関係あると思われます。

2004年から2007年まで駐日イスラエル大使を務めた 「エリ・コーヘン氏」は徳島に入り「ユダヤ人がこの地に辿り着いたと思われる史跡がある」と話しています。この地はあの「阿波忌部」の根拠地です。
更に、エリ・コーヘン氏は沖縄においても、ユダヤ人上陸地として、ヤハラヅカサにて!教会関係者が参加して儀式を行いました。

消された琉球(沖縄)の歴史⑥祭司族の行方


籠神社の「天火明命」の海部氏は聖書の民の系統です。「スサノオ(出雲の王)=ニギハヤヒ=物部」です。新撰姓氏録』(しんせんしょうじろく)は、815年(弘仁6年)に、かかれたもので、ニギハヤヒ=神別=天神=天孫族です。


「忌部氏」は皇室と関係があるといいました。それは 忌部氏だけが、代々皇室に「麁服(あらたえ)の布」を納めていたことで知られていますが、「麁服(あらたえ)の布」とは天皇が即位後、初めて行う践祚大嘗祭(せんそだいじょうさい)で神に奉納する、大切な布のことです。太古から忌部氏は天皇の即位の際、麻から麁服の布を織り、皇室に献上してきたのです。
また、賀茂氏は忌部の中でも最高の祭祀支族です。大祭司は賀茂氏であり、忌部の中の忌部といわれています。
神宮の祭祀は中臣氏ですが、それは表の儀式です。陰陽道には裏表があり、裏の祭祀で神宮の心御柱を直接奉蔡されるのは賀茂氏の役目です。

沖縄には白鳥の稲穂に関する伝説が知念村や玉城村に残っていますが、ここ「伊雑宮」の伝承にも、稲穂をくわえた真名鶴の話があります。その鶴は「伊雑宮」を象徴するようです。そして亀は「籠神社」の伝承に登場する倭宿弥命「やまとすくねのみこと)の乗っていた海亀を象徴しています。

伊雑宮は鮫が昇るという川があり、また、竜宮城や玉手箱の伝承が伝わるところでもあります。祭神は 「天照坐皇大御神御魂 (あまてらしますすめおおみかみのみたま)」といいます。

また 、茨城県の千勝神社には、
「何度も起こる水害に困り果てていたところ、大きな白鳥に乗られた大神様が降臨され、治水して下さいました。それで、農作物も豊かに実り、平安を取り戻す事が出来た」
という伝承もあります。
この「大神様」とは私の大好きな「猿田彦大神」のことです。






byはやさすら


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