アイはやさすら ほどきむすび

琉球弧の神々と歴史を取り戻そう。 お爺、お婆が守ってきた宝の島✨琉球‼ 私たちに今何ができるのか。 まずは知ることから始めよう‼

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消された琉球(沖縄)の歴史⑤祭司族の行方

消された琉球(沖縄)の歴史⑤祭司族の行方


驗(しるし)の靈(たま)
「タアロアは男の骨から女をつくり、イビと名付けた」
ポリネシア伝説です。
ポリネシア人は古代海人の安曇族と同族ではないかといわれています。。。
しかし、「タアロア」って「たろう」?
しかも!「イビ」って。。。?
沖縄の御嶽の「イビ」と同音です!

「威部」とは
読み方:イビ(ibi)
奄美大島から沖縄の聖地の神の名

い びゐ- 【威部▽】
奄美・沖縄地方で、御嶽うたきの内奥にある神域。神の依代よりしろとされる岩石・神木などがあり、神女が神をまつる。また、そこにいる神。

琉球国由来記の伊平屋島の神の名に全て(火神除く)「◯◯御威部」とあります。

「イビ」には神霊が降るという古代人の信仰ですが、それは太古によみがえるものです。
石に対する信仰は、人類の発祥以来数万年以上に及ぶといわれており、世界中に巨石、岩、石は信仰対象としてみられています。沖縄もしかり、その信仰の痕跡はいたるところで確認することができます。

「イビ」とは古代エジプトで「心臓」をあらわし、 人間の最も重要な霊的な部分の1つと考えられていました。

日本における最古で最強の祭司族または技術集団がいました。
彼らは「忌部・斎部(インべ)」といいます。
沖縄の三母音式で読むとこれは、「イビ」となります。(へ➡ヒに変換)

沖縄にはその地名恩納村に「インブ (伊武部 )」があります。

彼らはもっとも古い祭司集団で、天皇家の祭司を司っていた祭司族です。
その昔、思兼命の発案によって「天岩戸の神事」が執り行われましたが、その祭司を司ったのは「天太玉命」で、忌部の遠祖(とおつおや)になります。
しかし、天武王朝時代に同祭司族であった 「中臣氏(藤原氏)」(祖は天児屋根命)との格差がつけられ、天武朝の「八色の姓」の制定によって、中臣氏は「朝臣姓」、忌部氏は一段下の「宿禰姓」となりました。 この事態に、大同2年(807年)忌部宿禰広成は、『古語拾遺』を平城天皇に撰上し訴えましたが、状況は変わらず表舞台から姿を消すことになったのです。


忌部(斎部)氏の祖神は「高御産巣日神(たかみむすひのかみ)」です。
「高御産巣日神」は「造化三神」の神でもあります。
そして「高御産巣日神(高皇産霊尊=高木神)」の娘が「栲幡千千姫(たくはたちぢひめ)」といい、「白い布の織物の女神」です。
彼女は天照大御神の息子である「御子神・天忍穂耳命(あめのおしほほみ)」と結ばれ、二人の間に「天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)」(天上界の立派な太陽の子)が生まれました。また彼は「 木花之佐久夜毘売(コノハナサクヤヒメ)」( 大山祇神の娘)を妃に迎え、「 彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)」(山幸彦)を産みます。 彼は初代の「神武天皇」の祖父です。

実は沖縄本島、宮古島には「高御産巣日神」や「大山祇神」 「木花開耶姫」 が祀られている聖地があります。しかも「木花開耶姫」の名は、沖縄の古典音楽の中にその名が見えます。

「天太玉命」の「玉」は「天上界の立派な霊魂」のことを意味し司祭者でした。
祭司族である「忌部」の「忌」は、慎みをもって神事で穢れを取り去り、身を清めることを意味します。また忌部らは技術集団であり、「海部(あまべ)」とともに開拓を行いました。

阿波国(現、徳島県)の忌部は「天日鷲命(あめのひわしのみこと)」を祖としています。
「天太玉命」の率いる五神(天日鷲命=阿波忌部の祖、手置帆負命=讃岐忌部の祖、彦狭知命=紀伊忌部の祖、櫛明玉命=出雲玉作の祖、天目一箇=筑紫・伊勢忌部の祖)の一柱でもあります。

「阿波忌部」の「天日鷲命」の名から連想するのは、エジプトの「ホルス神」です。ホルスは鷲を模した神ですが、古代エジプトでは「ヘル」といわれました。あの第三の目の神です。
その「鷲神」の「ホルス神」の子は「イヒ」と言います。またエジプトでは、「イヒ」とは魂が肉体の外に出て宙をさまよう状態のことをいうらしいです。
エジプトの「イヒ・イビ」は霊的な意味を含むようですね。


「天日鷲命」を祖に持つ阿波忌部は
徳島県(阿波国)の戦前の県民歌(阿波国の創生)に出てきます。
【陽は匂ふ国 阿波の国
忌部、海部、名にふる代よりうけつぎて
われらにいたる南国の光をあびて
とどろくうずしおと沸く血
見よこの脈管にたぎれり 勢へ
徳島県民 今日ぞ 】

「忌部」「海部」の名が見えます❗

「忌部」は「海部(あまべ)」と共同でヤマト王権成立に大きな影響を与えました。彼らはまた、日本各地に麻・榖を植え、農業・養蚕・織物・製紙・建築・漁業・衣食住の生活文化技術や産業技術・農業土木技術などを伝えた技術集団で、しかも祭祀集団であったことが わかっています。

この「忌部」と「海部」は沖縄と密接な関係があります。
その流れに「神武天皇」の誕生も隠されているのです。


忌部(インベ)
宮古島で、海のことを「イン」といいます。

byはやさすら







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