アイはやさすら ほどきむすび

琉球弧の神々と歴史を取り戻そう。 お爺、お婆が守ってきた宝の島✨琉球‼ 私たちに今何ができるのか。 まずは知ることから始めよう‼

< 2024年05月 >
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てぃーだイチオシ

スピリチュアル

靈(れい)の躰地(みち)「私」はたったひとり③

靈(れい)の躰地(みち)「私」はたったひとり③
驗(しるし)の靈(たま)
何に魂が感じるのか
何に魂がふるえるのか
何に魂がゆさぶられるのか
何に魂がわきあがるのか

真摯(しんし)に自分自身と向き合う
そして、毅然(きぜん)たる態度で〝事〟にあたり、自分らしく乗り越えて行こう。
他人の言葉は助言で、それがすべてではない。
人の言葉に脅かされるな
何も恐れることはない

世の中、所詮「人ありき」
「人ありて、事ありき」

心の整理をし、まずいちばん大切なことを知ること。
「心の整理」とは、「考え」を排除すること。
「あーだからこーだから」「・・・かもしれない」とか「こうしたらあーなるから」とか全部排除!
残るものはただひとつ、「私」の感情です。
「私=1」は「自己中心の思い」でいいんです!
「私は何を求めているの?」
「私」が求めているものの「姿」を明確に思い浮かべて見てください。
それを軸に物事をとらえていこう。

そしてそこから「対象者、対象物=2」に向かいます。

私は、相手の言葉より、対象者の「在り方」をみます。
理不尽さを感じる時には、特に注意を払います。
どんな人物が発している言葉なのか?です。良い人には「注意」されても暖かさを感じるはずです。
相手から「同じ言葉」を聞いたら、それは相手が特に気にしていることだと気づいてください。反面、それが「私自身」の「メッセージ」だったりもします。
よく聞き分けてみてください。
話を聞いたその瞬間、理解できないならそれは構わないことです。まったく問題ありません。でも理解する努力を行ってください。今日理解できないなら、明日と。いつか突然の理解が訪れます。

「人間性は?」とか「人として律した生き方を!」とか言ってる人の姿をみると意外とその人に無いものを語っています。それはまた相手の会話の中にも現れ、会話の前後の「矛盾」が多く、私の耳には「違和感」として残るのです。

人は「無いもの」を「求めている」ものです。
そこで、相手に振り回されてはいけません。

相手から得るものがあれば、得られるものはしっかり得ること、変えられることなら努力して変える。ただそれだけのことです。
「私」を脅かす言動を投げつけてくる人は要注意です!
驚いて嘆いて、傷ついてる場合じゃないですよ。
話しによく耳を傾け、見極めなければなりません。
それを、感じ知り得た時には、「こんなひどいこと言うのはこの人の心の問題」としてさっさと片付けて終わらせましょう。
でも「私自身」耳の痛いことであるなら、それは改めましょう。素直に聞いて改めましょう。
「軌道修正」です!

何に成るべきか
何を得るべきか
何をすべきか


また、相手が「神人」だとするなら、その姿や在り方をしっかりと、両目を開いて見ましょう‼

神に携わる相手ならなおのことです。

更にそれを「神からの言葉」だとして降ろされたものなら、それは相手から発せられた言葉で、
「その人の解釈で発せられたものである」ということに気づいてください。
「神の言葉」の解釈は、その人のもっている知識や経験から成るものだということです。

特に、感情の体験や経験が少ない方には、言葉に重みを感じません。
そこを細かく落とし込んで、お伺いをたてていこうものなら、答えられないのはもちろん、はぐらかすならまだしも、怒りだしたり、怒鳴ったりと悲惨な状態になります。そうなったら、相手が特に見えてきますね。

「私自身」も他人の言葉で、腹もたつし、嫌な気持ちになるものですが「なぜ?」と問いかけてみてください。
相手の嫌な言葉を感情で受け止める前に
「私自身」に「何が嫌なの?」と確認してみてください。これを「自己認識」といいます。
そこに「私」の「変化」のスイッチが隠されているかもしれません。

それ・・・
感情が何かを感じて反応しているということです。

「私」ってみーんな意外と見えてないし、わかってない。
「私」が気づきにくいことは、
「相手」が存在して、行動や言動で「私」の「鏡」になって反射したり、照らしてくれたりします。

今回のはなしは
「逆」もありきです。
「私自身」も相手に見られていますよ。

あらゆる物事や言葉を「陽に当て」
「私造り」楽しんでみてください。

心はたったひとつしかなく
私もたったひとりしかいない
靈(れい)の躰地(みち)「私」はたったひとり③


「教えることとは、学ぶことである」



byはやさすら





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