スピリチュアル
「ユタ」の霊(たま)と神司の魂(たま)
驗(しるし)の靈(たま)と魂(たま)
沖縄の神司の彼女と
宮古島の神司のメガさんの神業は同じようで違うのです。
何が違うのかというと、次元が違うのです。(注意‼上下関係は全くありません)
沖縄の彼女は「神がかり」をし、霊と1体となって神業をおこなっています。彼女が話す言葉、そのものを神の言葉とします。
宮古島のメガさんは、「神の案内」がありその声の導きで神業をやりとげています。
どちらもお役目が違うのです。
前者が「ユタ」のお役目で、死者の霊魂と眷属の神々を相手にしています。
後者は「神司(人)」の お役目で、メガさんには、「鳥」が話して万古山の場所を教えたといいます。
「ユタ」は死者の世界を司り、死者の声を聞き、死者の供養につとめます。人霊が主になります。
そして、眷属を使い、奇跡を起こすこともできるのです。また、自分の守護神の媒介により、対象者の状態を知ることが可能です。
さらに、「魄(はく)」といわれる「思い」による幽界現象を見極め、祓いもします。(思凝界(しぎょうかい)のこと)
それと、霊界との「交渉、御願」もします。占いで判断もとり、未来を見通す力もあるのです。
「シャーマン」がそれにあたりますね。呪術を使い、人を操ることもでき、病気を治したりもする。
「ユタ」は絶大な霊能力を持ち合わせていないとできないお役目なのです。
歴史においては「卑弥呼」がそうでした。その関係性は高いと思われます。
その源となるのは「エジプトの死者の書」に始まる「脱魂」であり、「チベットの死者の書」に始まる「憑依」です。
沖縄の「ユタ」はどちらかというと、「憑依型」ですね。
「ユタ」は村で「神司」とは対照的な役割を担っていました。
「神司(人)」と「ユタ」の決定的な違いは、神司(人)は徹底的に穢れを嫌い、清いことに徹することです。口にいれるものも、言葉も、吐く息でさえ、清浄を心がけるのです。そして、誓約を守ることも大切なことです。そして、自然界の中に神の声を聞き、それは、波であったり、雲であったり、鳥であったりそれらと会話をします。徹底して身を清めることで、神霊界の神々との交信が可能になるのです。
その昔、「ユタ」は聖地に立ち入ることができませんでした。それは厳しく守られていたことです。
久高島では、「ティンユタ」といわれるお役目の方がいらっしゃいますが、その歴史は古いといわれています。
禊には「水の禊」と「火の禊」がありますが、水で行うことはよく知られていますね。
火を使い祓い禊をするのは、伊平屋島の祭りで残っています。「火の粉」が飛び交い炎が舞い上がる様は、まるで何かを激しく追い払っているように感じました。
沖縄の偉大な神司の彼女は、今までに例の無い霊能力を持ち合わせ、太古始源の世の母神を震い起こしました。
その前に神司であるメガさんは、「浜繋ぎ」で宮古の神々の和合(結界)をとりつけ、徹底した清浄の中で、神霊界の神々の活動を促す働きかけを行いました。
それによって、神霊界の力が増幅され、沖縄の神司である彼女へと引き継がれているのです。
メガさんの大業は、
万古山御嶽(子ねぱのうたき)を世に広げ、宮古島の「竜宮座」としました。
そして、宮古島の十二方神の神座も開きました。その神々は宮古島の神人たちの間で語り継がれているのです。
「万古山御嶽はそれはそれは厳しい、清み座の神様ですから、それをよく知った上でご参拝あれ」
byはやさすら
沖縄の神司の彼女と
宮古島の神司のメガさんの神業は同じようで違うのです。
何が違うのかというと、次元が違うのです。(注意‼上下関係は全くありません)
沖縄の彼女は「神がかり」をし、霊と1体となって神業をおこなっています。彼女が話す言葉、そのものを神の言葉とします。
宮古島のメガさんは、「神の案内」がありその声の導きで神業をやりとげています。
どちらもお役目が違うのです。
前者が「ユタ」のお役目で、死者の霊魂と眷属の神々を相手にしています。
後者は「神司(人)」の お役目で、メガさんには、「鳥」が話して万古山の場所を教えたといいます。
「ユタ」は死者の世界を司り、死者の声を聞き、死者の供養につとめます。人霊が主になります。
そして、眷属を使い、奇跡を起こすこともできるのです。また、自分の守護神の媒介により、対象者の状態を知ることが可能です。
さらに、「魄(はく)」といわれる「思い」による幽界現象を見極め、祓いもします。(思凝界(しぎょうかい)のこと)
それと、霊界との「交渉、御願」もします。占いで判断もとり、未来を見通す力もあるのです。
「シャーマン」がそれにあたりますね。呪術を使い、人を操ることもでき、病気を治したりもする。
「ユタ」は絶大な霊能力を持ち合わせていないとできないお役目なのです。
歴史においては「卑弥呼」がそうでした。その関係性は高いと思われます。
その源となるのは「エジプトの死者の書」に始まる「脱魂」であり、「チベットの死者の書」に始まる「憑依」です。
沖縄の「ユタ」はどちらかというと、「憑依型」ですね。
「ユタ」は村で「神司」とは対照的な役割を担っていました。
「神司(人)」と「ユタ」の決定的な違いは、神司(人)は徹底的に穢れを嫌い、清いことに徹することです。口にいれるものも、言葉も、吐く息でさえ、清浄を心がけるのです。そして、誓約を守ることも大切なことです。そして、自然界の中に神の声を聞き、それは、波であったり、雲であったり、鳥であったりそれらと会話をします。徹底して身を清めることで、神霊界の神々との交信が可能になるのです。
その昔、「ユタ」は聖地に立ち入ることができませんでした。それは厳しく守られていたことです。
久高島では、「ティンユタ」といわれるお役目の方がいらっしゃいますが、その歴史は古いといわれています。
禊には「水の禊」と「火の禊」がありますが、水で行うことはよく知られていますね。
火を使い祓い禊をするのは、伊平屋島の祭りで残っています。「火の粉」が飛び交い炎が舞い上がる様は、まるで何かを激しく追い払っているように感じました。
沖縄の偉大な神司の彼女は、今までに例の無い霊能力を持ち合わせ、太古始源の世の母神を震い起こしました。
その前に神司であるメガさんは、「浜繋ぎ」で宮古の神々の和合(結界)をとりつけ、徹底した清浄の中で、神霊界の神々の活動を促す働きかけを行いました。
それによって、神霊界の力が増幅され、沖縄の神司である彼女へと引き継がれているのです。
メガさんの大業は、
万古山御嶽(子ねぱのうたき)を世に広げ、宮古島の「竜宮座」としました。
そして、宮古島の十二方神の神座も開きました。その神々は宮古島の神人たちの間で語り継がれているのです。
「万古山御嶽はそれはそれは厳しい、清み座の神様ですから、それをよく知った上でご参拝あれ」
byはやさすら