消された琉球(沖縄)の歴史⑨舜天王統の真実

アイはやさすら

2019年01月21日 13:00



驗(しるし)の魂(たま)
「ユタのことだよ」と伊藤が西郷のことをそう称していた。
伊東とは伊東博文。
西郷とは西郷隆盛。

消された琉球の歴史の裏には、実は明治にまで延々と続く歴史抹殺があった。

窪田氏の書き綴る文章に、ハッと息を飲むばかり。

さて。。。
窪田氏の記す琉球王朝の実態を明らかにしていきましょう。

【舜天王統】

舜天王について、私たちはこう聞いていました。
源為朝が琉球に渡来し、大里按司との間に生まれた尊敦(ソントン)が、利勇を討って舜天王となる。。。と。

「岩屋天狗と千年王国」より。
舜天王統=島津系舜天王統である。

琉球天孫王統「紀 恒成」が南支において敗死後、権臣利勇が簒奪(さんだつ)したが、恒成が京から琉球に奉遷していた「尊恵親王(二条天皇皇子)が国人に擁立(ようりつ)されて王位につき舜天を称した。
母方祖父の政治的トラブルの為、生まれたばかりの尊恵親王は、藤原氏伊集院家成の請いにより、勢氏志摩津に、預けられ「志摩津氏」を称した。
「紀 恒成」の死後、「紀氏」は琉球を去り、本拠地(柚子院)に移り、「伊集院氏」を称したといいます。


父ー二条天皇
母ー源 光成の娘
舜天王=尊恵親王


その子「舜馬順熈」は実は「シマズ」と訓み、熈=光る・広まるの意。
父ー尊恵親王
母ー紀 家成の女
舜馬順熈=源忠久

義本王=源 忠義
のち日向へ逃亡し、大隈守惟宗志摩津忠義を名乗る。


島津氏は南支那渡来の姫氏伊集院氏の部下(海女頭)であった。

島津氏は、琉球王朝主家筋、伊集院家との抗争において、1550年、島津貴久が鉄砲によって南九州の豪族らを圧倒的に制圧し、貴久の子、義久・義弘兄弟によって、ようやく九州を制覇していき、「伊集院家の部下」であったという事実を徳川家と共に消し、隠蔽する。

徳川家にも消したい歴史事実があったのです。それは島津氏と結んだ、「系譜偽作協定」
消し去りたい過去の系譜を島津氏と共に隠蔽をはかりました。

伊集院本家の廃絶
そして、
岩屋梓梁(いわやしんりょう)こと、「琉球尚清王」の歴史的抹殺。

岩屋梓梁は、1549年、宣教師フランシスコ・ザビエルをインドのゴアから鹿児島に案内してきた「ヤジロー」です。
実はこれが、抹殺するすべての始まりで、ザビエルの死に衝撃を受けた宣教師ルイス・フロイス(1532年生)なる人物のひとことだった。
「日本で天下を取った岩屋梓梁は日本人ではない、蕃異人だ。それは日本の屈辱だ」と豊臣秀吉ら武将に抹殺をせまったのだった。

岩屋梓梁はアラブ生まれ「波斯天竺僧ーマホラム」のアラブ人の血を受け継いだ大男でした。



byはやさすら

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